「らしく」 生きるを支援するキャリアコンサルタント・棋道師範の西岡です。
今朝、モヤシの根を取りながら、
「1本1本見ていくと、長いもの、短いもの、折れているもの、
色が茶色いもの、曲がっているもの・・・
いろいろあるなぁ。」
「この割れているのは、小さいし細いから除こう。」
「これは色が病的に茶色からやめておこう。」
など、ひげ根と共に取り除いていきます。
「そう言えば、店頭の野菜や果物も見栄えの良いものを揃えているなぁ。」
「ホントウは形や大きさが不揃いでも食べる分には問題ないのに・・・」
「一律に揃っているものばかり見ていると、それが当たり前、
そうでないと劣ったもの、という価値観になるのでは?」
「食品だけじゃなくて、人を見るときもそんな価値観になるのかしら」
「いやいや、第二次産業で作られる製品も仕様・規格にあったものばかりですね。
手作りの良さというのもあるけど、それだって求められる機能は
満足していることが前提ですね。」
「無いモノは自分で作って、多少不満足でも工夫して使った昔とは違いますね。」
「発達障害とかも知られていなかったからかもしれませんが、
そんな子もいるよね。
2,3年経てば他の子と大して変わらなくなるんじゃないの、的な感じで
わりと大らかに対応してくれていたように思います。」
「先生方は苦労してくれていたのかもしれませんが・・・」
私たちは、きれいなモノを求めて普段から
自分達で自分達の価値観を一律に同じもの、
揃っているモノが良いとしてしまっているのでは
ないでしょうか?
ユニークなモノはうまく使うのに工夫がいるので面倒くさい、
それは不良品だと。
裏返せば、自分達が楽をする、考える手間を省くために、不揃いを悪と評価する。
なんだか自己中に思えてきました。
商品の提供側として真摯に考えると、
品質の均一性は気になるところですね。
品質がバラバラですと、お客さんに不公平になってしまいますし、
使い勝手も変わってしまうのは申し訳なく思いますよね。
商品の提供側とユーザー側で、それぞれ主体的に考えるようにすれば
お互いに多少の不備があっても相手を認めて補い合うことができます。
一方、互いにルーズになると粗悪品を提供してしまうかもしれませんし、
些細なことでクレームをつけるようになってしまうカモしれません。
それは、人格(=提供側)と評価(=ユーザー)にも通じるように思われます。
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