「らしく」 生きるを支援するキャリアコンサルタント・棋道師範の西岡です。

 

那須は山の方に行くとまだ少し寒い。

おかげで

 

 

 

風が強くて、お日様はちょっと陰ったり

 

 

 

でもカタクリの花も見られて

 

 

車はそれなりに通りますが、人はほとんどいません。

 

 

 

ところで、

 

「人間の本性」 アルフレッド・アドラー著 長谷川早苗訳

 

を読むのが途中から進みません。

 

いろいろと考え込んでしまい、モヤモヤとしています。

 

何かというと、モヤモヤしているので明確には言えないのですが

 

 

<動けなければ精神生活は不必要?>

 

「精神があるというのは、そもそも、動くことができて生きている有機体にだけ言える状態です。・・・地に深く根を張る有機体には、生活のうちの精神的な面である精神生活はほぼありませんし、不必要でもあるでしょう。」

 

「精神活動のあらゆる面が育つには、生物が自由に動けることが欠かせないのです。」

 

最初の方のページではこのように書かれていますが、

 

後に、他人に比べハンディがあると感じた劣等感を覆したり補ったりすることを目標とする

 

ようなことが書かれています。目標は動機であり、精神生活の一端と言えると思います。

 

上述の 「自由に動けることが欠かせない」 の

 

反対語は 「(植物のようにまったく)動くことができない」 ということなのでしょうか。

 

関連して、以前に高齢者の方が仰った

 

「(好きなことを)やった方がいいのはわかっているけど、めんどくさくなっちゃうんだよなぁ」

 

素直に受け取れば

 

「以前のように上手くできない」 とか 「肉体的に直ぐ疲れるのでやりたくない」 

 

「成果を発表して評価される場がないから達成感がない」

 

と言ったことが考えられます。

 

 

どのように思いますか、

 

・ 動けなければ精神活動は発達しない

・ 劣等感を持つ動作(見る聞く等も含めて)は動機を作る

・ 年を取ると好きなことも面倒になる

 

これらは一貫性?共通性?があるでしょうか。

 

 

注意点ですが、

 

「好きなこと」 を子どもの頃からの価値観によるものと考えてしまうと

 

「面倒になる」 はその人の価値観が変わったのではないか、と思われるかもしれません。

 

しかし、その人の価値観は、ひょっとすると

 

「他人よりうまくできること」 = 「優越」

 

かもしれません。

 

そう解釈すると、何をしても 「優越」 したと感じられるものが見いだせなければ

 

何かをしての 「失敗」 を想像するよりも

 

「しない」 理由を作る方が、自分の気持ちの安定が得られるやり方と理解できます。

 

あくまでも、そんな考え方もあるということではありますが。

 

 

そうだと仮定して、理由はどっち?

 

動けなくなったから?

 

その人の子どもの頃からの目標に沿った行動?

 

 

 

そんなことをグダグダ考えているとほんのページが進みませんね。

 

急いでも仕方ないですね。

 

 

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