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五六郎スタート



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桜も散ってしまいましたね。

沖縄はもう梅雨に入ったそうですよ。

岡谷の桜日和は堪能できませんでしたが

まあ、暖かくなったのでOKです。

さて「岡谷南高校」の創立記念公演

「五六郎物語」の顔合わせが無事終了。

何と!写真はありません。

ただただ呑んでました・・・。俺としたことが。

そんなこんなで、着物の整理と効果音の準備にとりかかりましたよ。

着物の整理は松木さんと2人でホコリと格闘。

なんとか整理終了。

効果音も拾い出せたので、ちょっと豪勢に「夢庵」でしゃぶしゃぶの食べ放題にでかけた。

一人で。

死ぬほど食ってやろうと意気込んで食べ始めたが・・・。

・・・お代わりはできなかった。

食べ放題じゃなくていいじゃん!

泣く泣く帰って来ました。げっぷ!


救出 一円って明治でいくらくらい?


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いろんな考えの人がいます。

明治の新札、新しいレイト。

一両といっても金の含有量で金額が違います。

天保に作られた一両が基本です。

一円は1万円。

これがこの3日間、調べた結果です。

いろんな人がいますよ。

一円は10万円とか
5千円位だとか。

でもね。一円は一万円です。

これを鑑定するのは明治初年の物価です。

かけそば=5厘

一円が一万円なら5厘は50円です。

これですよ。世の中で物議を醸し出しているのは。

今だったら、500円くらいするでしょ?

で、思っちゃうんですよ。5厘は500円と。

1里=1文 100円ですね。

そうすると一銭は1000円になってしまいます。

そうすると一円は10万円になってしまいますね。

当時、公務員の給与は55円でした。ひと月ね。

ってことは550万円じゃないですか。

あんパンが5銭ですよ。500円です。

当時めずらしい食べ物にしても500円はやりすぎです。

高いでしょ。
江戸時代は1文=10円でしょう。

それが、一円=一万円です。小判と新札。4円36銭6厘で交換しました。

そうすると小判1枚が、4万円。

その下の一分が一万円。

その下の1朱が2500円。

その下の1文が10円。

蕎麦が16文で160円。

甘酒が4文で40円。

いい線じゃないですか。

明治時代。

円・銭・厘と代わりました。

厘は文と一緒です。

あんパンが4厘 40円。
蕎麦が5厘 50円。ずいぶん安くなりましたね。

男の日当、50銭 5000円。
女の日当、30銭 3000円。

大工の日当が90銭で9000円。
ちょっと低すぎですかね。

慶応から明治にかけてインフレが起きてます。

じゃあ、1文=1里を20円としましょうか。

逆算です。

一銭は200円。

一円は2万円になります。

今の感覚ですよ。重さです。数字的ではなく。

そうすると・・・。

かけそば4厘は80円。
あんパンが5厘で100円。

じゃあ、製糸工場の100円工女はいくらなんでしょう。

200万円です。年俸ですけど。今の感覚ですよ。

当時の日当の平均が50銭ですから10,000円。
ひと月25日働いたとして、25万円。年俸300万円。
女の人は30銭。日当6000円 ひと月15万円。年俸180万円。

女性は製糸工場で100円稼ぐと高収入ですね。

公務員は55円貰っていました。ひと月ね。
ひと月110万円ですよ。・・・うらやましい。

おっと、それじゃあ、イタリアやフランスから購入した器械は
200円でしたね。そうすると400万円です。

15円は30万円ですね。


諏訪式繰糸機は30万円の価値です。今のね。
輸入した器械が1200万円だなんてウソを言ってしまいました。
400万円です。

今のレートでね。

江戸時代(慶応)から明治初年。

そして明治晩年。

レートはものすごい勢いで上昇しました。

不思議なのは、江戸時代160円の価値のあった蕎麦が80円の価値に下がってしまっているってことです。これは理解しがたい。

地租改正


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前回、明治9年ごろは税金は物税で年貢だったと書いてしまいました。

ほら、学校で教わりましたね。地租改正。

明治6年から明治12年くらいまでやっていたそうです。

まあ、田舎だと明治9年くらいには始めたんでしょうか?

それによって、物税から現金税に替わります。すぐにはできなかっただろうけど。

何しろ田んぼを再測量をするわけですからね。時間かかったでしょうね。

日本中の田んぼの測量をするわけですから。

明治9年に廃刀令がありますから、武士は・・・いやいや士族は大変でした。

それまで貰っていた授産金っていう、いわば士族の配当金みたいなものも廃止になり

九州の方では暴動も起きてます。

諏訪ではどうだったんでしょう。

諏訪・岡谷では、開墾する土地もなかったので、茅野や富士見の方に開拓(授産開拓)が盛んに行われたんじゃないでしょうか。

つまり、金は配当できないけど、土地を自由に開拓して、生活してくださいねってことです。

高島藩の武士たちは、こうして農地を開拓し、大農家になるか、製糸工場を作って製糸家になるか

明治9年ころはそんな時代だったんだと想像してます。