入院生活 初期③ わがままで自己中な自分 | 摂食障害とうまく付き合いながら生きていく

摂食障害とうまく付き合いながら生きていく

中学生の時、神経性食欲不振症と診断され、その後、山あり谷あり、現在は、一見完治したかのような日々

ですが、食のこだわりあり。なんで私はこうなった?と思うこと時々。
摂食障害について考えようと思って書いています、もうアラフォーです、いやアラフィフか。

中学2年生で摂食障害になり

4件目の病院で

長期療養することになったときの話です

思い出しながら書いているので

覚えていることだけになります

 

・・・・・・・・・

管理栄養士さんの部屋の

ボードに書いてあった自分の名前

その横に「要注意」

と書かれていたのを見て

ショックを受けた時の話の続きです

 

要注意患者と思われているんだ

ご飯が喉を通りませんでした

 

しばらくして婦長さんが

(今は婦長さんという役職名はありませんが

当時私は「婦長さん」と呼んでいたので

婦長さんと書きます)

心配して、部屋に来てくれました

 

大部屋だったので

「婦長さんの部屋にくる?」と

私のお昼ご飯のトレイを持って

婦長さんの部屋に呼んでくれました

 

そこで泣きながら一通り説明しました

 

それはひどいね、

婦長さんが注意しておくからね

と言ってくれました

 

注意なんてしなくてよくて

私がわがままだったんです涙

(心の中で思ってました)

 

もやもやは消えませんでした

 

その後、栄養士さんの態度が

急によそよそしくなって

(なった気がしただけかもしれません)

 

小児内科の先生が来て

(たまたま来ただけかもしれません)

食事はどう?と聞いてきて

基本出されたものを食べれるといいね

と言われてしまいました

 

婦長さんに黙っててと言えばよかった

と思いました

(黙っててくれたかもしれません)

 

わがままだと思われているんだ

と思って

悲しくなりました

 

わがままで自己中心的な人にはなりたくない

そう思っていたのに。

 

拒食症ってわがまま病?

そう思っていないかな・・

 

とても苦しかったです

 

この後どうしたか覚えていません

葛藤があったと思います

 

この頃、母のお見舞いは週に1回

テレホンカードで自宅に電話は時々

ノートに日記を書いて

交換日記をしてたと思います

 

何を書いていたかまったく覚えていません

 

父は母に

「おまえにまかせた」と言って

私の話題はしてなかったようでした

一度もお見舞いには来ませんでした

(トラブルで1回来ました)

 

・・・・・

 

うちの父は・・・

 

食事にわがままで

常に自己中心的

機嫌が悪くなる人

 

あ、これは私の父でした

入院中の自分と同じ・・・

 

そんな父が機嫌が

悪くならないようにするのが

我が家でした


幼い頃、毎日

「お父さんとお母さんが喧嘩をしませんように」

と祈っていた時期がありました

 

食事が気に入らなくて

気に入らなくてお皿を割ったとか

 

最終的にいつも

母が父の機嫌をとるのが

いやでたまらなかったなあ・・

 

トラウマです

 

・・・・・

 

入院生活は1ヶ月が過ぎ

秋から冬になりつつありました

 

ほんとうにほんとうに少しずつ

体重は増えました

 

自己中でわがままな病気と

思われているかもしれない

という恐怖が大きかったですが

売店で買い物は自由だったので

食べられるもの(飴とか)を買って

自分なりには工夫していたと思います

 

そろそろ管が取れる体重になりました

 

(つづく)