誰のために食べるかわからない | 摂食障害とうまく付き合いながら生きていく

摂食障害とうまく付き合いながら生きていく

中学生の時、神経性食欲不振症と診断され、その後、山あり谷あり、現在は、一見完治したかのような日々

ですが、食のこだわりあり。なんで私はこうなった?と思うこと時々。
摂食障害について考えようと思って書いています、もうアラフォーです、いやアラフィフか。

3つ目の病院に入院することになった

中学生のころの私

 

この時おそらく、28キロくらい

 

軽い肺炎だったので個室に

 

入れてもらえました

 

ここから先は覚えていることが

とても少ないのですが覚えていることが3つ

 

まずは1つ目

・・・・・

 

2日目の食事もたぶん少しずつ

食べていたと思います

 

朝ごはんはそのころ一番調子がいいので

まあまあ食べれたからだと推測

(ちょっと覚えていませんが)

その日母が来たときに

「たくさん食べれたんだってね、

よかったねえ!」

すっごくうれしそうでした

 

でも食べられるときばかりではない

食べられるものばかりでもない

 

食事は食べ終わるころに

看護師さんがやってきて

どれだけ食べれたかをチェックして

下げてくれる形式でした

 

その日だったか次の日だったかは

定かではありませんが

 

食べれないけど、それだと

なんかいわれるし、母が悲しむ、

 

なので、個室のトイレに

食事を半分くらい流しました

(ごめんなさい)

 

この時の行動を私ははっきりと

覚えていて

全部流せばバレるから半分流そうという

ものすごく浅はかで嫌な行動をしました

 

下げてくれたとき「がんばって食べたね」

といわれたとき

ものすごく罪悪感がありました

 

次の日の朝はまた食べることができて

だけどお昼は食べれない

そしてまたトイレに流す

 

2回くらいやったと思います

 

個室だったので誰にも気づかれない

 

母が面会にやってきて

食べれたことを喜んでいました

 

そのときに言ったのか

次の日に言ったのかはわかりませんが

罪悪感でいっぱいになった私は

 

泣きながら母に

やってしまったことを白状しました

 

とてもがっかりさせてしまったと思いますし

当然叱られました

 

自分が嫌でたまらなかったし

泣いて泣いて

自分は病気なんだと思いました

 

食べれないものは食べれないし

食べれるときもある

 

でも食べれるときもあるので

食べれないときだけを見て

がっかりされたくない

とか思ってたのを覚えています

 

食べないことを責められる

食べていたら褒められる

というのがつらかったし

このことは今でもひきずっています

 

誰のために食べるの?

わからない

 

これが覚えていることのひとつの出来事です

 

あと2つは次に書きたいと思います