◆讃美にまつわる旧約聖書のことば・まとめ
1.主に向かって賛美し、感謝の歌をうたうこと
2.声を出さず静かに神の前にひざまずき賛美すること
3.手を神に投げ出すように高く上げること
4.ささげる心をもってたたえること
5.様々な楽器を使ってほめ歌うこと
6.手を打ち鳴らすこと
7.自分のことも忘れて、会衆とともに神を賛美すること
讃美は、「わたし」が思いこんでいるそのイメージだけでは囚われない、すばらしい神との結びつきの通路です。
讃美は、まず、「歌うこと」でした。しかしまた、実際に声として出さなくても、「心の中で」讃美することでもありました。その意味では、「祈り」も間違いなく讃美なのでした。
また、その「手を神に伸ばす」ものでした。神に向かうものである必要がありました。
それから、「ささげる」ことでした。自らをささげるものでなければなりません。
実際上、「様々な楽器」を用いることがありました。オルガン一つしかだめだなどということは決してないのでした。
ですから「手を打ち鳴らす」ことも当然あってよいのでした。
そして聖書で最も多く讃美の言葉として示される「讃美する・ほめたたえる」その言葉は、なりふり構わず歌や楽器、踊りも含めて、光を放つこと、輝くことを意味するものでした。これこそ、「ハレルヤ」なのでした。
だから「こうでなければならない」と制限するのもおかしなものです。しかしまた、「こうであってはならない」と制限することも、相応しくない場合があると理解できるでしょう。
私たちの魂が、世の波風の中に耐えるように硬くなっているとすれば、そこから天へと解放する営みが、讃美と重なります。神と通じる祈りの中にも讃美があふれるように、そして最後の「ハレルヤ」に見られるように、きわめて自由に、解放の場の中に、神を讃美するという、神の民の礼拝があったことを、心得ておくことが聖書に従うに相応しい、と考えたいものです。
詩篇に「新しい歌を主に向かって歌え」というようなフレーズが幾度か見られます。
絶えず新曲をつくり、歌う必要があるのでしょうか。新曲でもよいでしょう。しかし、昔ながらの歌でもよいのです。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。救いの喜びの中で、そして新しい心でもって、主の前に出て主に感謝をささげ、たたえる信仰が、そこにこめられていると捉えてもよいはずです。
驚くことに、このフレーズは黙示録にもあるのです。
二度「新しい歌」が出てくるのですが、そのうち終末の前半では次のようなシーンで登場します。
天の開いた門の中に、二十四人の長老たちと、四つの生き物がいます。生き物たちは「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と絶え間なく叫び続けています。御座にいます主に向かって、「彼らは、新しい歌を歌って言った」(黙示録5:9)というのです。そして、「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です」(黙示録5:12)と大声で告げるのです。
ここから、ヘンデルは「メサイア」の中で名曲「屠られし小羊こそ」をつくりました。そしてまた、現代でも、オーストラリアのヒルソング教会が、同じタイトルで世界中に受け入れられる讃美を生み出しています。
私たちは、過去に縛られて身動きできないのではなく、いつでも今日からが新しい未来につながっています。目覚めていのちがあったときには神に感謝し、その都度新しいスタートラインに立つことができます。見上げる神との差し向かいの意識の中で、新しい歌がまずこみあげてくる一日が与えられますように。