これは以前調べたことですが、このついでにご紹介します。何かの学びの参考になれば幸いです。なお、聖書引用は新改訳第3版からです。
讃美は、形としては「歌」として現れてきやすくなります。しかし、狭く限定する必要はありません。私たちにとり、讃美はまた「祈り」であり、神への「ささげもの」でもあります。神を信じるイスラエルの民は、これをどのように捉えていたのでしょうか。讃美にまつわる聖書の中の言葉をたよりに、学んでいきます。
旧約聖書、とくに詩篇は、そのまま讃美の歌詞であったとされるほどに、讃美の心のあふれたことばの宝庫となっています。旧約聖書では、ダビデが詩篇の中心を担っています。ダビデは、音楽の名手でした。その音楽の才能の故に、イスラエルの初代王サウルに仕えましたし、ダビデが王となってからも、さかんに神をたたえる歌をつくり、また契約の箱を取り戻したときには列の先頭に立って讃美し踊ったのでした。
詩篇から、讃美について次の七つの言葉を取り上げてみました。カタカナは、ヘブル語をカナで表したものです。
1 シール
「私は主に歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。」(詩篇13:6)
主に向かって賛美や感謝の歌を「歌う」こと、これこそ神の民です。声をもって歌います。
2 バーラク
「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう 。私たちを造られた主の御前に、ひざまずこう。」(詩篇95:6)
声を出さず静かに神と交わる中で賛美すること。神の前にひざまずき、静まって賛美する意味のことばです。
3 ヤーダー
「よみにあっては、だれが、あなたをほめたたえるでしょう。」(詩篇6:5)
投げるという意味からできた言葉で、手を神に投げ出すように高く上げることです。「ほめたたえる」と訳されています。「感謝する」意味が強く感じられます。
4 アーラー
「もしも、・・私がエルサレムを最上の喜びにもまさってたたえないなら、・・」(詩篇137:6)
全焼のいけにえをささげる行為に由来します。讃美だけのための用語とはいえないようですが、香りも祈りも高いところへのぼらせるものとして、神を「たたえる」意味があります。
5 ザーマル
「・・主を、私はほめたたえよう。いと高き方、主の御名をほめ歌おう。」(詩篇7:17)
旧約聖書に非常に多い言葉です。様々な楽器を使います。ダビデは様々な楽器で、いわばオーケストラのような組織で演奏をし、歌いました。聖歌隊を調え、楽団を構成したのです。ダビデは、サウルから悪霊を去らせる技として竪琴を奏でました。
6 マーハー
「もろもろの川よ。手を打ち鳴らせ。山々も、こぞって主の御前で喜び歌え。」(詩篇98:8)
手を打ち鳴らすこと。角笛やラッパを吹き鳴らし、タンバリンを打ち鳴らします。手を叩いて勝利者をたたえたり、人を歓迎したりすることは、ごく当たり前のように見えますが、新約聖書に、神とのかかわりおいて、手をたたいたり、打ち鳴らしたりする表現がないのはとても不思議なことに思えます。
7 ハーラル
「私は、・・・・会衆の中で、あなたを賛美しましょう。」(詩篇22:22)
ご存じ、讃美そのもの。元は、「輝く」こと、「光を放つ」ことを表します。自分のことも忘れて、なりふり構わず、アクティブに、しかも、会衆とともに神を賛美することです。歌と楽器、そして踊りも加わります。賛美の後には礼拝者の顔が輝いています。ハーラルの名詞形「賛美」はテヒッラー。詩篇のヘブル語名称はテヒラーの複数形「テヒリーム」です。ご存じ 「ハレル・ヤは、ハーラルとヤーを合わせて「主をほめたたえよ」と訳されます。
(続く)