新約聖書ではしきりに扱われる「復活」。それが基本的に受動の形で「復活させられる」のように書かれていることについては、先週4月1日のこのコーナーでお伝えしました。
 
旧約聖書の成就が新約聖書であると言われるなら、旧約聖書にもさぞかし復活が臭わせられているだろうと思いきや、悲しいくらいに少ないのが実情です。少なくとも日本語訳としては、旧約聖書の中に、「復活」の語は見当たりません。しかし復活の内容を思わせるものは探せば見つかるもので、幾つかの例をここに引いてみたいと思います。
 
  あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく
  あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
  命の道を教えてくださいます。(詩編16:10-11)
 
  わたしは知っている
  わたしを贖う方は生きておられ
  ついには塵の上に立たれるであろう。
  この皮膚が損なわれようとも
  この身をもって
  わたしは神を仰ぎ見るであろう。
  このわたしが仰ぎ見る
  ほかならぬこの目で見る。
  腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。(ヨブ19:25-27)
 
  あなたの死者が命を得
  わたしのしかばねが立ち上がりますように。(イザヤ26:19)
 
主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」{エゼキエル37:2-6)
 
  その時、大天使長ミカエルが立つ。
  彼はお前の民の子らを守護する。
  その時まで、苦難が続く
  国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。
  しかし、その時には救われるであろう
  お前の民、あの書に記された人々は。
  多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。
  ある者は永遠の生命に入り
  ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。(ダニエル12:1-2)
 
どうでしょうか。頼りないと言えば頼りないですね。古代イスラエルは、キリスト教以降思い描くような形での復活の思想をもつものではありませんでした。
 
(続く)