精神と肉体を分離するのは抽象的である。
ある話の流れで、そのようなことが言われた。
精神のない肉体もありえないし、
肉体のない精神というのもない。
人間として、それはないのだ、と。
その時、ふと思った。
病気で意識がない状態のときはどうだろうか。
精神がない、と思われているのではないか。
しかし私は、それは分からないと思う。
外から見て、意識がないようにしか見えないときでも、
実は当人からはこちらへの認識がある、
そういうケースはしばしば聞くものである。
だから、これは確かに、精神のない肉体がある、
そんなふうには言えないはずだと思う。
けれども、である。
精神のない肉体であるかのように
他人を見なしている、見なされている、
そういうことは、あるのではないか、と。
労働力としてのみ人間を見て、
酷使し、あるいは罵倒する。
そこに過労死の問題があるし、
ブラック企業の存在がこれを証明している。
つまり、精神のない肉体であるとして、
人間を見下している現状である。
逆の場合はあるだろうか。
肉体のない精神だと、他人を決める場合。
食糧がない地域の人がいることを知る。
ああ、可哀相な人だ――それは精神を認めることだ。
だが、自分とは関係がない、助けようがない
――これが、肉体を認めていないという意味ではないか、
そのように思ったのだ。