まして、政治家について何か気に入らない部分を見て、その政治家たちがプライバシーもなく休みなく仕事をしていることを自分は少しも真似すらできないくせに、悪口を言い、揶揄し、そのようにアザゼルのものとされたヤギの如く政治家たちに罪をかぶせ、その悪人を批判している私が実は正しいのだ、と思いなすような精神状態でいるとするなら、しかも陰でこそこそ、自分だけは安全な場所に隠れて皮肉のひとつでも言っているようであれば、それが最も悪い罪であるように、私には思えてならないのである。政治への飽くなき監視や批判は欠いてはならないが、いつしか、ただのガス抜きや嘯きに変じて満足してしまう心理が人間にはあるのだ。
 
ほかの方々のことをとやかく言うつもりはない。原発反対の意見の人については、そのような行いができるということに対してはむしろ尊敬の思いを抱いている。為政者を監視し、適切に批判しなければならないことは言うまでもない。問題にしているのは、私自身のあり方である。政治家も同じ人間であり、むしろ公人として人々、そして私のために働いている。権力者のために祈れという新約聖書の言葉は、時に権力に迎合するのかとも批判されるが、私はそうではないと思う。もちろん、この世で悪を処罰する権力というものへの一定の信頼のためであるのではあるが、いま私が見ているように、同じ人間として、人々全体のための仕事をしている点に注目したいのである。私など、仕事で誰かの役に立っているかもしれないがごく狭い世界での出来事でしかないあり方をしているわけで、何万人何億人という人のための仕事をしている政治家のためには、敬服して祈るしかないと思うのである。
 
(続く)