受難週だという。
一定のきまりのもとに、
復活祭という移動祝祭日の日取りが
古に決められた。
クリスマスとは違い、
復活の日は、
聖書の中の記事に根拠がある。
明らかに、
それは過越の祭に関係しているからだ。
だが、それを実際教会暦として祝うにあたり、
ユダヤの過越と同列に扱っているのではないとされる。
今年は確か一週間ずれていたのではなかったか。
あくまで、キリスト教バージョンなのである。
ひとは、記念日をつくりたがる。
どうしても、「今日は○○の日」という形で定めなければ、
そのことを忘れてしまうという意味もあるのだろうか。
あまりにも気にしていなければならないことが多すぎて、
とりあえず一日にひとつ、
今日は○○のことを考えよう、と提案し、
その他の日には忘れていてもよいように、という知恵であるのか。
覚えるということは、忘れることの反対である。
ひとは始終、すべてのことを気にしているわけにはゆかない。
他のことを忘れていて構わないから、
一年に一度、思い出せばいい。
まるで、
それが免罪符のように、
私たちの目の前に掲げられる。
とりあえず、今日は2017年の99日目。
これは、記念日というわけではないが。