福岡西方沖地震は
3月20日だった。
 
あのとき教会では、
子ども向けのショート・メッセージがなされていた。
 
イースターのお話で、
岩が動いていました……と告げたとき、
グラグラグラ、ときた
 
偶然と言えば偶然なのだろうが、
これくらいのことでも
現代人は、たまげる。
 
ほんとうにイエスの復活に出会った人は、
どんなにか驚いたことであろう。
そのにもまして、
十字架とはどんなにか酷かったことであろう。
 
私たちは私たちの社会や文化の中で
体験したことしか知らないし、
常識というものも今風にできてしまっている。
決して、私たちの認識が真理であるわけではない。
違う認識の仕方をしているからと言って、
他の文化や歴史の中の人を嘲笑うことはできない。
違うものではあっても、劣るようなことはないはずだ。
 
もっと想像力が必要だ。
これがあまりにも、ない世の中だ。
いや、人間というものがそもそもそうなのかもしれない。
目の前の人、
隣の人が、
自分がここにいることでどんなに迷惑を被っているのか、
まるで気づこうともしないではないか。
 
地下鉄サリン事件も、同じ日付だった。
阪神淡路大震災への全力の援助が途絶える一因ともなった。
想像力の無さが招いた事態は、
それをやった側だけの問題ではない。
社会全体が、引き受ける点もきっとある。
その覚悟ができた者だけが、
おそらくイエスと出会うことができる。