「あなたの飼葉おけに、イエスさまは生まれましたか」
「あなたの心は、飼葉おけですか」
はっとさせられた。
鋭い問いかけだった。
心にイエスを宿す、
イエスが幕屋を張り、住みつく、
そんな概念はあった。
だが、自分の心が飼葉おけであるというのは、
いままで気づかなかった。
立派な宿屋の由緒ある器などではなかった。
動物臭い、そして打ち付けもいい加減で、
すぐ壊れそうな、餌箱。
多少の謙遜を表明したとしても、
私たちのそれは、演技でしかなかった。
サマリヤ人のたとえのように、
いざとなると自分のことしか考えないのだ。
しかし、自分は空に等しい。
自分は卑しいもの、汚れたものである。
自分は心底貧しい心をもっている、と確信しているとき、
私の心は、飼葉おけとなりうる。