何か理由があるのだろうか。
思い当たるふしは、とりあえず一つある。
 
アクティブ・ラーニングである。
 
これが初等教育に本格的に実施されるのが、
この学年の境目にひとつの意味をもつのだ。
文科省のほうではすでに2012年にその枠組を発表しているし、
なんだそれはという現場の教師も学びを始め、
去年あたりから本格化した動きになってきているように見える。
 
現在のところ、これがブームである。
とにかくお上のお達しであるから、
これからこれが主流になるのだから、と、
教育評論家も誰もかも、アクティブラーニングを褒め称える。
 
自らの意見をもち、主張できるようにすること。
この理念そのものが誤っているとは思えない。
だが、その「自ら」とは何であろうか。
 
これが定まらない、あるいは一定の価値観をもてないときに、
ましてや、いわゆる反抗期で
おとなに言われるままからそれに反対する自立の芽生えのときに、
自分の意見を主張する技術に走るということは、
正当化する原理を見誤る可能性があるとは言えないだろうか。
 
つまり、自分の欲望や感情が正しいものとして
相手に主張することへと応用され、
相手の話をじっくりと聞いて理解しようとする心の育つ時期に、
自己主張だけを繰り返すような学習は危険ではないだろうか。
 
実際、私も授業参観で
中学一年生のその場面を見ることがある。
通常の学校である。
かなり実際にアクティブラーニングが用いられてきた半年である。
 
(続く)