言わないでいると、分かってもらえない。
言わないでいるままに、
相手がこちらを分かってくれない、と
ぼやいても、やむをえないところだろう。
 
話せば分かる。
そんな言葉もあったが、
話しても分からないことがあまりに多くなった。
この場合、話すというのは、
話し合うとか歩み寄るとかいうことなのだろう。
 
言葉の端々に、
相手への嫌悪感や、上から見下ろす態度が
やはりどうしても通じてしまうのが、
言葉の怖いところだ。
 
ツイートなどを眺めると、
その人の個性がよく伝わってくる。
どういう位置に立って、
どういう人々をどのように見下ろしているか、
その言い方その他から、激しく伝わってくる。
 
一定のことについての反応ひとつで、
千差万別というか、
その人となりが明らかになるのも確かだ。
 
自分では普通と思っている。
いや、自分こそ偉い、最高の意見だと思い込んでいる人も
実際見かける。
その人の言動がいかに底の浅いものか、
またわりと多く間違いを述べているか、
そんなことが分かるわけで、
哀れに思えてくる。
 
それでも、呟いておけば、お山の大将だ。
おっと、このようなブログもそうではあるが、
厳しい世間の目はその酷さを指摘してくることがある。
そうなると益々、頑なになる場合が多い。
そうして、またお山の大将を孤高に守るのだ。
 
言葉は、自分で気づかない、
本当の自分というものを漏らしてしまう。
それは、どう気をつけても仕方がないことなのだ。