主イエスは、
いろいろなことがあった、とか、
それぞれに、さまざまなことが、とかは言わない。
あなたは苦しかったね。
あなたは痛かったね。
直接、一人ひとりに語りかける。
その人の痛いところ、辛いところを思いやる。
苦しかった思いを労い、癒してくださる。
具体的に、あれがどうだ、これがどうだと撫でてくださる。
十把一絡げに、
世の中には苦しいことがいろいろありますが、
などと毎回判で押したように祈ることなど、ありえない。
この杯が問題であり、
この十字架を共に担ってくださるお方である。
だから福音なのである。
教会での公祷では、
プライバシーへの配慮はあるものの、
だからと言って、
抽象的な祈りをすべきだとは思えない。
せめて、自分が神と格闘し、
神に恵みを戴いた、
そのことを祈ればいい。
礼拝での祈りの中には、
自分と神との関係が現れる。
その人が神と出会っているのかどうか、
実に暴露されてしまう怖さがある。