また、これまでに
酷く叱られた経験があると、また重なると、
それと同じ目に遭いたくないという心理は当然ある。

なんとかその場を逃れようという、不真実は、
私たちの日常生活においてはそれこそ日常茶飯事ではなかろうか。

ただ、そのことが「しらばっくれる」という事態に、
教室では多々出会う。
真顔で、やっていない、と言うが、
あまりにも子どもじみたものだ。
相手が見ていないとでも思っている。
これには要注意だ。
親は、証拠がないのに子どもを責めた、と
逆にくってかかることがある。
こうなると、教育はできない。
どこかで、真実を語ることの大切さを諭さなければならない。
その場で吊し上げるのが目的でなく、
その子に、真実を語ることの大切さが、
心に届くように語られなければならない。

むむ。
そんなことを考えていると、
私たちは神の前で、
なんといつも嘘ばかりついているのだろう、と恥ずかしくなる。
いや、この場合恥ずかしいどころの問題ではない。
これは恐ろしいことである。

自分のしていることが分からない、
そういう場合もあるからである。