十分理解して戴いているつもりでいたし、
業務として必要であることも自覚はしていると思う。
これが教会の責任者だから困るのだが、
毎週私がある業務の担当者として、
定期的にこれを知らせてほしいということをお願いしている。
なにせ、その情報がなければ、
私は動くことができないからだ。

これが、再三忘れ去られる。

また忘れていましたね、と催促を遅れてすると、
すみませんでしたと丁寧な言葉と共に
慌ててそれがメールで送られてくる。

もちろん、人のなすことだから、
つい忘れるということや、失敗もあろうし、
何かしら多忙の中でできないという事情もあろうかと思う。
だが、これが続くというのは、もはや理由にはならない。

また、催促がなければ、
ついに何も来ないということもある。

ついぞ、こちらの業務に無関心のようだ。
それはまるで、
エサを待つペットのようなもので、
こちらはその情報を依存しているだけなのだが、
エサをやり忘れることが度々ある、というようなものだ。

この業務は、
教会にとり、大切な伝道の働きであると位置づけられている。
また、そのことを重々当人も口にしている。
が、やっていることはそのような理解をしているとは思えないものだ。

こうした意識の低さが、はたして、
魂の配慮を求めて教会を訪ねる人に対してだけは、
抜かりなくきちんと対処できる、と信じられるだろうか。

「魂の配慮」とはどういう意味であるかというと、
キリスト教世界で「牧会」と訳されている語の原義なのだ。