本を薦められると、弱い。
これはいい本です、と
伝道者や説教者が口にすると、
読んでみたくなる。
もちろん、本販売のために言っているのではない。
だが、
その知的世界を共有したという気がしてくる。
同じ背景、同じ地平に立ってみたい、
同じ景色を経験したい、と思うのだ。
もちろん、それは
その人が尊敬できる人の場合である。
くだらないひとりよがりに酔いしれている人が
いくら「これはいい」と言っても、
勝手に呟いていろ、という気持ちになる。
蔵書を人に見られるというのは、
恥ずかしさを伴う。
自分の頭の中を覗かれるような気がするからだ。
自分の思考は、これらの本によってできている。
いわば、脳内なんとかというのが、書棚である。
ただし、図書館で借りた本というのもある。
隠れている部分もあるということになろうが、
それでも書棚は自分の分身のようなものである。
よい本を薦めたいし、
薦められたい。
もちろん、他人が如何に薦めようとも、
自分に合わないということもあるだろう。
だが、誠実に薦めてくださる本であるとすれば、
薦められて良かった、と思う可能性のほうがはるかに高い。
人との出会いにも等しい。
いまここにいない人とも、
つまり歴史の中の人とも、対話ができる。
また、相手の都合に合わせてということもなく、
こちらが読みたいときに自由に訪ねることができる。
ただ、問題は、
その本を部屋に溜めておくことには限界がある、ということか。
今日もまた、
捨てる本を探さなければ、家族の厳しい視線に晒される。
これはいい本です、と
伝道者や説教者が口にすると、
読んでみたくなる。
もちろん、本販売のために言っているのではない。
だが、
その知的世界を共有したという気がしてくる。
同じ背景、同じ地平に立ってみたい、
同じ景色を経験したい、と思うのだ。
もちろん、それは
その人が尊敬できる人の場合である。
くだらないひとりよがりに酔いしれている人が
いくら「これはいい」と言っても、
勝手に呟いていろ、という気持ちになる。
蔵書を人に見られるというのは、
恥ずかしさを伴う。
自分の頭の中を覗かれるような気がするからだ。
自分の思考は、これらの本によってできている。
いわば、脳内なんとかというのが、書棚である。
ただし、図書館で借りた本というのもある。
隠れている部分もあるということになろうが、
それでも書棚は自分の分身のようなものである。
よい本を薦めたいし、
薦められたい。
もちろん、他人が如何に薦めようとも、
自分に合わないということもあるだろう。
だが、誠実に薦めてくださる本であるとすれば、
薦められて良かった、と思う可能性のほうがはるかに高い。
人との出会いにも等しい。
いまここにいない人とも、
つまり歴史の中の人とも、対話ができる。
また、相手の都合に合わせてということもなく、
こちらが読みたいときに自由に訪ねることができる。
ただ、問題は、
その本を部屋に溜めておくことには限界がある、ということか。
今日もまた、
捨てる本を探さなければ、家族の厳しい視線に晒される。