小さな声、
いくら叫んでも、何も変わることがない。

なんだか、投票の勧めのようであるが、
このような感覚は、多くの人がもつものだろう。

自分ひとり声を挙げたところで、
世の中が何も変わるわけではないではないか、と。
また、少々同志が集まったとしても、
もみ消されてしまうだけではないか、と。

ある意味で、それは事実である。
しかし、見えないところで、何かが動かされていく。
その小さな意見を聞いた人、目にした人が、
勇気づけられることがあるはずだ。

――そうだ、私もそう思う。
――同じ考えの人が、いるんだ。
――私だけじゃない。

近年は、意見を発信することが容易になった。
また、それを他人が目にする機会が格段に増えた。
それを過剰に期待すると、
ちっとも注目されない、と焦る場合もあろうが、
だが見ている人は見ている。
その意見や声で、心強くしている。

――ならば、自分も言ってみよう。

そう思う人が現れるかもしれない。
その意見が、雪だるま式に、
増えていくことがあるかもしれない。

もとより、ひとりよがりで
自分が正しいという自負だけで発言するのは、
この類ではない。
「~と思う」と控え目な表現を取り繕っても、
その実傲慢であるという人の書きぶりは、ちゃんと伝わる。

自分の痛みを背負いつつ呟くことと、
そうした自己義認とは、雲泥の差がある。

慰められる、勇気づけられる。
そうした言葉は、確かにありうる。
小さな声は、決して意味のない声ではない。