声楽を知る方が、
正しい姿勢のときに
息の出入りが最も適切になり、
息を最高度に吸い込み、
最高の成果を以て声を出すことができる、
そんな指摘をしていた。

神の霊は、息にたとえられる。
いや、元来の語において、
「霊」は「息」そして「風」と同語で表されるから、
息そのものが霊でもある。

神の霊を受ける、という言い方もあるが、
だとすれば、
発声の姿勢の中に、
神の力を受けることが表されていることになる。

背筋を伸ばして、
息を調えるとき、
それは祈りの姿勢でもある。
しゃんとした祈りでありたいし、
風通しのよい交わりでありたいと願う。

だがこれは、
うつむいている人には神が来ない、
そんなことを言っていることとは違う。
弱い者、小さい者、貧しい者、苦しむ者、
神は必ず、そこにおられる。
姿勢を正しく取れない人のそばに、時にその人の内に、
神は伴っていてくださるのだ。

まずいのは、
自分はしゃんと祈っているぜ、と
自ら膨らむ者である。
それが、福音書でイエスと敵対する姿勢だからである。