電車の中で大きな声で話し続ける人たちに、
どうしてこんなに不愉快を覚えるのか、考えていた。

すれ違う人が喋っていようと、そんな気持ちは沸かない。
うるさいにしても、一時的なものだからだ。

しかし、電車内は違う。
ずっと、そのお喋りを聞かされる。
興味深い話でもしているのならいいが、
そんな確率は限りなく低い。

しかも、すぐ耳の横にあたるような近距離で、
ずうっと喋り続けるとなると、
こちらの思考力が攪乱される。
何の思考もできなくなる。

これは暴力と呼んでよいのではないだろうか。

席を移ればいい?
実際、やっている。
座っていて拷問を強いられるよりは、
立つことのほうがまだましだ。

だが、こちらは始発駅で座って待ち、
なんとか静かそうな人の近くの席を選び、
ほっとして本でも読んでいると、
発車間際にばたばたとやってきたグループが
すぐ横に集まり、ギャーギャー言い始めると、
どうだろうか。

こういうことが毎日なのだ。
また、物理的に、人が混んできて動くのが困難な場合もある。

こういうのは、若者だとお思いだろうか?
経験上、学生は、そうでもない。
若い女性二人あるいは数人が、
喋り続けるというのも迷惑だ。
ビジネスの男性も多い。

お年寄りも多い。
耳が遠くなってきたのは、
互いに実に大声で喋っている。
その車両のどこにいても、苦しい。

別の車両に行ってほっとできる場合も、たまにある。
が、どこも似たり寄ったりである。

加害意識というものは、
人間に本質的に欠落しているもののようだ。