この暑さ、と言ってよいか、
いったい何だろう。
パソコンのデスクには、
洗濯ばさみのように挟んで固定する扇風機があるが、
夜中にそれを回している。
11月下旬の景色ではない。
たとえそれが異常気象だとしても、
どうせひとが招いたことだ。
あるいは、自然自身の変化であるかもしれないが、
温暖化といった長期的傾向の場合、
ひとの原因をまず考えることは必要な手筈だろう。
季節感を大切にしてきた風土であり民族である。
その微妙な変化を味わってきた文化をもつ。
目にはさやかに見えねども、季節の変化を知った。
実際に季節を見ずとも、
心の中ではもう春を迎えているような思いを抱いた。
風の向きの変化や、
月の見え方のおぼろさの中に、
自然と人生とを感じていた心は、
貴族文化だけだったのだろうか。
しょせん庶民は、
あくせく目の前の手の技しか、
見ることがなかったのだろうか。
いま私たちは、巨大な文明と文化を抱え、営み、
誰もが貴族や王族になったかのように生きているようだが、
ほんとうは卑しさの中に浸っているのではないか。
そんなことを、ふと思う。
いったい何だろう。
パソコンのデスクには、
洗濯ばさみのように挟んで固定する扇風機があるが、
夜中にそれを回している。
11月下旬の景色ではない。
たとえそれが異常気象だとしても、
どうせひとが招いたことだ。
あるいは、自然自身の変化であるかもしれないが、
温暖化といった長期的傾向の場合、
ひとの原因をまず考えることは必要な手筈だろう。
季節感を大切にしてきた風土であり民族である。
その微妙な変化を味わってきた文化をもつ。
目にはさやかに見えねども、季節の変化を知った。
実際に季節を見ずとも、
心の中ではもう春を迎えているような思いを抱いた。
風の向きの変化や、
月の見え方のおぼろさの中に、
自然と人生とを感じていた心は、
貴族文化だけだったのだろうか。
しょせん庶民は、
あくせく目の前の手の技しか、
見ることがなかったのだろうか。
いま私たちは、巨大な文明と文化を抱え、営み、
誰もが貴族や王族になったかのように生きているようだが、
ほんとうは卑しさの中に浸っているのではないか。
そんなことを、ふと思う。