その受賞者について称えてよいのはもちろんだが、
研究は今や個人でなされているわけではない。
チームやプロジェクトなしには動けない。
その学問の動機はどこにあるのか、
何によって費用が出されるのか、
そうした点にも目を見張る必要がある。
そして、たとえ受賞に縁がないようであっても、
学問はどこかで世のため人のためになるという
太っ腹の枠で捉え、見つめ、
支えていくような文化的背景をもてないかと思う。
賞をもらおうがもらえまいが、
意義ある研究は
そこかしこで行われている。
また、一見誰かのために役立たないように見えても、
意義あるものでありうるだろうし、
たいそう派手で面白い研究であっても、
世界に害を与える結果をもたらすということもありうる。
それでも、
ひとつひとつの営みをけなす必要は全くない。
理系科学のほうにのみ目が向く人もいるかもしれないが、
社会科学や人文科学の分野でも、
それぞれの研究を支持する文化的背景が望ましい。
むしろ理系分野よりは費用はかからないであろうそれらの研究を、
政治的に蔑ろにしようなどと考えるようであってはならない。
梶田隆章教授は、
宇宙は謎だらけだ、と口にした。
キリスト教神学においても、
神の業や計画を、
さも全部知りえたかのように
発言していく人がいるが、それはよろしくない。
結局、謎だらけであるし、
何かが分かったような気がしたとき、
それに応じて何十倍もの謎があることに気づく。
それでも、ひとりひとりに向かう神の言葉は、
それぞれすべてが真実であるのだから、奥深い。
こちらのことについては、
また別に呟くことがあるだろうと思う。
研究は今や個人でなされているわけではない。
チームやプロジェクトなしには動けない。
その学問の動機はどこにあるのか、
何によって費用が出されるのか、
そうした点にも目を見張る必要がある。
そして、たとえ受賞に縁がないようであっても、
学問はどこかで世のため人のためになるという
太っ腹の枠で捉え、見つめ、
支えていくような文化的背景をもてないかと思う。
賞をもらおうがもらえまいが、
意義ある研究は
そこかしこで行われている。
また、一見誰かのために役立たないように見えても、
意義あるものでありうるだろうし、
たいそう派手で面白い研究であっても、
世界に害を与える結果をもたらすということもありうる。
それでも、
ひとつひとつの営みをけなす必要は全くない。
理系科学のほうにのみ目が向く人もいるかもしれないが、
社会科学や人文科学の分野でも、
それぞれの研究を支持する文化的背景が望ましい。
むしろ理系分野よりは費用はかからないであろうそれらの研究を、
政治的に蔑ろにしようなどと考えるようであってはならない。
梶田隆章教授は、
宇宙は謎だらけだ、と口にした。
キリスト教神学においても、
神の業や計画を、
さも全部知りえたかのように
発言していく人がいるが、それはよろしくない。
結局、謎だらけであるし、
何かが分かったような気がしたとき、
それに応じて何十倍もの謎があることに気づく。
それでも、ひとりひとりに向かう神の言葉は、
それぞれすべてが真実であるのだから、奥深い。
こちらのことについては、
また別に呟くことがあるだろうと思う。