あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

テレビドラマが放映されて、
つい最後まで見てしまった。

アニメ放映のとき、
ちょいと覗いたことがあったが、
きちんと見ていなかった。

中途半端な宗教思想・感情が中心部にあるため、
なじめなかったので、感情もどこか
歯止めがかかっているかのようであった。

もちろん、心が動かされないという意味ではない。
とくに、
若者たちが、
なにげない日常を送っていくかるようで、
それぞれに心に疵をもち、憂いを抱えているのだ、
ということについて、
改めて認識を深くした思いがした。

というのは、
キリスト教を通じて
ひとつに集まる若者たちがいるわけだが、
一見真っ直ぐに見えるその純な気持ちを、
安易に見てはいけないのだ、と思わされたからだ。

ある時代のように、
その人を見ただけで、
どういう生活環境や育ちであるか推測できる、
そういうふうではない現代である。
感情を表に出したがらない傾向もあり、
見た目は平穏で特にどうということのない様子の若者たち。

教会で楽しく過ごしている。
笑っているし、神を讃美もする。
それに、嘘があるというわけではない。

しかし、背後にはそれぞれに、
悩みや問題を抱えている。
どうしようもないような困難を抱えつつ、
教会に来て、喜んでいる、考えている。

そういう姿と、
かのドラマの描いた若い人々の姿が、
重なって見えた。
感じたのは、そういうことである。