これは去る14日の記事である。
イスラエルのハアレツ紙が
イスラエルで世論調査を行った。

神を信じるかどうか。
肯定した回答が、
ユダヤ系市民の70%、
アラブ系市民では98%であったという。

この数字をどう解釈するか、
それは地元も苦心していることだろう。
私たちも外部からのイメージなら、
いくらでもものが言えるのであるが、
かつてのシオニズムの理念とは
ずいぶん違った様相を帯びていることは確かだろう。

聖書に由来する名前を子どもたちにつけ、
聖書の精神を伝えていこうとする親たちの思いとは裏腹に、
新しい世代は、
やはり主から離れていくという、
聖書に描かれた歴史は
同様にたどることになっていくのだろうか。

キリスト教側からいう旧約聖書の歴史は、
そのようなイスラエルの民の歴史であった。

同じく聖書から、母親によって名前をつけられた男が、
JRの放火(と言ってよいかどうか法的には知らないが)事件で、
事情を問われているという。
偉大なデザイナーや美術家たる父親にとり、
離れた子どもをどう包むか、
ここのところ(偉大ではないが)私にも共感できる事態の中に、
信仰ということも含めていくと、
いろいろな思いが潜んでいるように思われてくる。