京都の地蔵盆の時季である。
詳しい歴史などは、
私も受け売りに過ぎないので割愛する。

子どものためのお祭りである。
そもそも地蔵は、
子どもに似合う信仰である。

子どもが主役で開催される祭であり、
子どもを大切にすることで、
町衆の将来も築かれていくはずのものであった。

そういう町が崩れていく。
子どもそのものが、消滅の危機に陥っている。
少子化以前に、結婚や家族というものが、
必要外の領域に追いやられていく現実がある。

たんに伝統だからとか、
あたりまえではないかとか、
そうした言い方では、
別の根拠を掲げられておしまいとなりかねない。

人間社会は、いわゆる先進国という名のもとに、
人類であることから退出しようとしているかのように見える。
人の心が冷えていく終末が福音書に描かれているが、
心というより存在そのものが消えていこうとする道筋である。

もとより、人口が増えればよい、というのも正しいとは限らない。
人間は増えすぎたのである。
だから、減少にさしかかることそのものが
即座に悪いというわけではない可能性がある。

しかしそこへ、経済という理由が加わると、
経済が停滞・悪化してよいのか、ということで
対策が講じられることになる。

エネルギー問題・原子力発電所問題も、
その関わりを検討されてしかるべきであるはずだ。

地蔵盆の蝋燭の炎に、
風前の灯火を垣間見るような思いがする。
何が消えようとしているのか。
たんに「子ども」なのか。
人間の将来であるのか。

人の「こころ」であるのか。