やっぱり私には分からない。
岩手の気の毒な中学生の死によって、
おとなたちが一斉にこんなふうに言うのだ。
「いじめをなくそう」

分からない。
なくなるのだろうか。

「交通事故をなくそう」と
本気でゼロを達成することができる、と
誰が考えているだろう。

飲酒運転でさえ、
とてもゼロには程遠いのだ。

事故そのものは避けられないこともある。
ただ、事故の後に
救助することが徹底できるならば、
被害はいくらかでも少なくなる。
また、シートベルトを締めていれば、
さらに被害は少なくなる。

「いじめ」をなくしたいという気持ちは分かる。
だが、なくなるのだろうか。
それをなくそうとするのが、対策なのだろうか。

人は、多かれ少なかれ、
いやなことを経験しながら成長していく。
無菌状態にするのが人の幸福ではない。
だが、人の心を絶望に与えるような仕方は当然、よくない。
「いじめ」は、受け取る側の捉え方にもいくらか関係がある。
いじめられていないと平気な人や、
それを乗り越えるように向けていく人もいるし、
誰もいじめているつもりはなく、冗談でやったことであっても、
それをいじめだと捉える場合もあるだろう。

「いじめ」を擁護するつもりは、さらさらない。
しかし、いじめをしている側が自覚していないことも多々あるし、
偶々おかしな髪型だと笑っただけで「いじめ」と認定されるのも
現実的ではない。
そんなだと、人は、人と関わることができなくなっていく。

(続く)