痛ましい報道があった。
中学生がおそらくいじめの故に
命を絶ったという知らせ。

ご遺族、とくにご両親には、
なんと声をかけるべきか、
言葉を持たない。持てない。

経路はよく分からないが、
担任教諭との連絡ノートがすぐ公開された。
どうにもそれが攻撃の的になりやすいものであった。

私は職務は違うが教える側の日常をもつ。
できるだけ先生の身になってみようと思った。
多忙な先生の業務の中で、
校長に対して意見すら言えず、
校長の道具にしかなりえない教諭が、
よくぞひとりひとりに返答をしていたのだと驚く。

だから、万一、
校長がこの教諭の責任にしようとでもしたのだったら、
私は直ちにこの教諭の味方になりたいと思った。
「知らなかった」という校長の最初の会見に、
その気配を感じた。
知らなかった自分を恥じるという言い方ではなかった。
「知らない」という言明は、
その教諭に責任がある、と言っているのと同値なのだ。

しかし、いじめについての調査を怠っていたのは校長である。
行事があって忙しいからできなかった?
忙しいのは年中である。
そういう言い訳を持ち出すこと自体、
責任逃れの一心が溢れ出ているようにしか見えない。

誰かが、ブレーキをかけることができた。
一度なら、ちょっとした心の揺れや、
気まぐれめいた発言だと様子を見る可能性はあるだろう。
だが、かなり具体的に、いじめられていることや
死を幾度ももちだしてきているというのは、
無視できるものではない。
家庭への連絡を一度でもしたのだろうか。
上司に上げることをしたのだろうか。
上げるのをためらう状況や空気というのが
職員間にあったのではないだろうか。
抱え込まないといけなくなるような、システムがあったとすれば、
これは校長に責任がくる。
その可能性を鑑みた対応のようには見えなかった。

(続く)