前に映画館に行ったとき、
上映前のとりとめなく続く予告編の中で、
映画『脳内ポイズンベリー』が紹介されていた。
いまようやくそれが公開されている。
映画とは大がかりで気長なビジネスなのだ。

最近の映画にありがちなごとく、
コミックスからきているらしいが、
マンガ家の発想はそれほどに愉快だということか。

アラサーの女性の頭の中で、
5つの思考要素がせめぎ合う。

「理性」「ポジティブ」「ネガティブ」「衝動」「記憶」
がそれぞれ一人の人間として擬人化して描かれ、
行動をどうとるべきか、白熱した議論が繰り返される。
……らしい。

そこで思い起こしたのが、プラトン『国家』である。
まさに国家について論じた、プラトン後期対話篇である。
ソクラテスはすでにただの人形のごとくになり、
政治的夢破れたプラトンが、
必死で自分の思いを展開する。

この中で、プラトンは、
人間の魂を、「理性」「気概」「欲望」と3つに区分した。
これが国家の3つの階層に相当するとされていくのだが、
すべての人間がすべてを理想的に持ち合わせるのではなく、
それぞれの階層が、それぞれの魂をリアルにしていくことにより、
国家が成立する、さらにいえば、
国家において正義が成立する、という思想を示している。

国家という呼称が、現代的な国家とは
区別されて考えていくべきだろうということはもちろんだが、
この国家がひとりの人間だとすると、
かの『脳内ポイズンベリー』のヒロインが
その国家に当たるような気がするのだった。

そう言えば国家たるもの、
後に怪物に喩えられ、
今なお、国家が人格的に臨むようなことがあるようにも思える。