福知山線という名前は、
鹿児島本線と呼ぶようなもので、
福岡を走っている路線として地域外の人には分かりにくいように、
尼崎での事故が福知山なのかと勘違いする人がいるのも
ある程度やむをえない。
あれから10年。
あの朝、実に驚いた。
繰り返し流される映像だったが、
酷すぎた。
想像力というものが
ひとにはないとでも思っているのか、
テレビ映像を回し続ける報道の仕方には
嫌悪感を覚えた。
23日の亀岡の暴走事故もそうだが、
四月のこの時期、関西では
悲しすぎる事故が記憶されている。
実はこの三年前の四月といえば、
12日に祇園で車の暴走事故が起こされている。
病気での運転ということで、
難しい判断が伴っているのだが、
これもまたやるせない事故であり、関西である。
事故を皆無にすることは無理かもしれないが、
たいていは、「自分だけはない」との思惑から起こる。
これは自分でも体験している。
先日、尼崎でのJR事故の被害者遺族が、
その後当該列車に乗り続け、
列車の遅れについて記録をとっていたという報道を見た。
頭が下がる。
こうした、はっきりさせたいという尽力について、
世の中は概して冷たい。
「だから何なの」といいのが組織側の眼差しだ。
これも体験的に知っている。
組織や権力をもっている側は、
簡単に頭を下げない。
人間として、ではなく、
その組織として、そんな必要はないと考えるのだ。
これが、個人レベルでも浸透しているのが、
巷の空気であるのかもしれない。
10年だろうが、11年だろうが、
ずっと忘れてはならないはずの事故である。
この時期だけのお祭りにしてはならない。
鹿児島本線と呼ぶようなもので、
福岡を走っている路線として地域外の人には分かりにくいように、
尼崎での事故が福知山なのかと勘違いする人がいるのも
ある程度やむをえない。
あれから10年。
あの朝、実に驚いた。
繰り返し流される映像だったが、
酷すぎた。
想像力というものが
ひとにはないとでも思っているのか、
テレビ映像を回し続ける報道の仕方には
嫌悪感を覚えた。
23日の亀岡の暴走事故もそうだが、
四月のこの時期、関西では
悲しすぎる事故が記憶されている。
実はこの三年前の四月といえば、
12日に祇園で車の暴走事故が起こされている。
病気での運転ということで、
難しい判断が伴っているのだが、
これもまたやるせない事故であり、関西である。
事故を皆無にすることは無理かもしれないが、
たいていは、「自分だけはない」との思惑から起こる。
これは自分でも体験している。
先日、尼崎でのJR事故の被害者遺族が、
その後当該列車に乗り続け、
列車の遅れについて記録をとっていたという報道を見た。
頭が下がる。
こうした、はっきりさせたいという尽力について、
世の中は概して冷たい。
「だから何なの」といいのが組織側の眼差しだ。
これも体験的に知っている。
組織や権力をもっている側は、
簡単に頭を下げない。
人間として、ではなく、
その組織として、そんな必要はないと考えるのだ。
これが、個人レベルでも浸透しているのが、
巷の空気であるのかもしれない。
10年だろうが、11年だろうが、
ずっと忘れてはならないはずの事故である。
この時期だけのお祭りにしてはならない。