近頃、またカントに注目している。
一般にも、カントが紹介されてきているムードが少しある。

思想そのものについては、
カントの説が信奉されているわけではない。
だが、カントを通らずしては、
近代の考え方について何かを述べることすら難しいほどに、
カントの世界像は決定的な役割を果たしたことを、
認めないわけにはゆかないであろう。

人間の認識能力についての検討はもちろんだが、
宇宙の始まりから国際平和まで、
現代の理論に関わっていることは否めないのだから、
意義は大きい。

そのカントを学ぶことで、
西洋思想を打ち破る野望をすら抱いていたかつての私は、
この私という最貧弱な悪の塊を思い知ることで、
すでに十字架の上に死んだ。

カントの誕生日ということで記憶していた今日だが、
ふと調べてみると、
治安維持法公布から90年という日であることが分かった。

人間が、ほうっておけば
如何様にも残酷なことができる存在だということは、
ISの報道されざる側面を知ると、よく分かる。
正義の名の下に、人は悪魔にでもなれるということを、
かの治安維持法から学ぶことは可能だろうか。

カントは、人の中に自愛の原理が巣くっており、
幸福の原理がすりかわる傾向性を指摘した。
他人のために命すら捨てるという原理を、
人間の中に立てることはなかったかと思うが、
個人的な視点から逃れられないという前提で、
人間をこれほど冷徹に観察し捉えた思想はそう多くない。

カントを学ぶ意義は、やはり
まだ世界に、そして一人一人に、
たくさん残っているに違いないと思う。