河北新報によると、
仙台市議会が、
手話通訳を試験的に導入した、と報道された。
六月から正式に導入するためだという。

質問と答弁を2時間にわたり通訳し、
活字にならないやりとりを
ろう者20人が体験した。

通訳者は、政治用語などを勉強した臨んだが、
さらに予め質問の要旨が把握できていれば、
よりよい準備ができると記事で感想を語っていた。

各地で、手話言語条例が可決されている。
いっそ、概観的なものとしてでも、
全国的な「法律」にすればよいと思う。
細かな規定は自治体により
事情が異なるかもしれないが、
枠はあってもいいのではないか。

ただ、条例さえあればよい、というものでもない。
聴者や政治家は思うだろう、
手話通訳を付けたので責任が果たせた、
あとは全部伝わったものとして処理していける。

ところが、そうではない。
実のところ、手話が通じるろう者は限られているし、
そもそもその手話自体、
厳密な議論については、伝わらない可能性、
誤解される可能性が多々あるのだ。

手話は視覚的な表現に富んでおり、
時に長いフレーズや関係を、
ひとつの情景で表現することもできるのだが、
手話語彙が少なく、
日本語のいくつかが一つの手話に対応しているのが普通である。

「運」「偶然」「都合」は手話では同じものとなるが、
ろう者間では何か工夫や伝わり方もあるかもしれないが、
聴者の通訳者の手話が、
「運が悪い」のか「都合が悪い」のかは、
文脈で判断するよりほかなく、
時に判断しづらい文脈もあるかもしれない。

(続く)