『聲の形』をやっと読んだ。
すでに連載は終了し、
その単行本も今月半ばに出ていた。
注文をして手許に置いていたが、
なんやかんやで開くのが遅れた。

よかった。

どうにも救いのないような展開にやきもきしていたが、
心が開かれていき、つながっていく結末に、
明るさを感じた。

若い世代の感じ方が、
心の飛躍の中に分かりにくいとも思っていたが、
ぎこちない気づき方の中に、
明るい方向性が見えてきた。

もとより、
「言葉」の魅力は薄かった。
『四月は君の嘘』の言葉の美しさと並行して読んでいたから、
よけいに、こちらは、たどたどしかった。

ただ、「聲の形」とは何だったのだろう。
ろう者が主役のようなあり方をして始まったところで、
そこに焦点が集まっていたはずだったのだが、
思ったほどには、「ろう」や「手話」が
必然性をもっていなかったようにも思えた。
むしろ、
石田くんの心の中で、
声が形作られていったような成長を感じたから、
手話のほうが形であったというのではないように思えた。

「このマンガがすごい!」の賞を受けたことには驚いた。
話題性があったことは聞いていたが、
まさかこれほどとは。

読者は何を求めていたのだろう。
何を感じていたのだろう。
もしかしたら、
形にならない声の存在を自分の中に感じつつ、
それをどう表してよいのか分からずもがいているのだろうか。

そう簡単に、
真実が、明確に形になるものではない。
それでも、何かを形にしていかなければ、
コミュニケーションは成り立たない。
人の呻きからすべてを分かってくれるのは、神のみである。

人は、バベルの運命に陥っている。
その中で、誤解と争いと、
互いに傷つけ合うことを繰り返しながら、
何かのつながりを求めてさまよう、
それが人生なのかもしれない。

よい話だった。