どうして恥ずかしく感じないのだろう。
たとえば私たちは、
石や水の前で裸になることには何も抵抗はない。
生き物でないからだろうか。
いや、花鉢の前で裸になっても、
恥ずかしいと感じることはおそらく全くない。
野菜や果物の前でもそうだろう。
昆虫の前ではどうだろう。たぶん、ない。
鳥ならどうか。少し感じる人がいるかもしれない。
犬か猫ならどうか。恥ずかしいと思う人が少し増えるだろうか。
だが基本的に、人前で裸になるほどの恥ずかしさは感じない。
ここに私がいる。それを目の前にしても、
電車の中で化粧をすることに、恥ずかしさを感じないのだ。
このとき私は、石や野菜だと見なされている。
すなわち、人格ある存在だとは扱われていないのである。
これが、腹立たしく感じる一つの理由ではないだろうか。
すると、電車の中で大きな声で話すことに対して
激しく不愉快になる私の感情も説明できる。
もちろん、本が読めないという理由もある。
疲れて目を閉じていたいのに、
ぎゃーぎゃー横で言われるからかもしれない。
会社の機密事項のようなものを平気で話せる神経もおかしいが、
他方、お喋りをしないと死に至るような女性の性質に、
こちらもめくじらを立てたくはないという思いもある。
しーんとしているのも気持ち悪いし、
楽しい語らいをとやかく言うのも大人げないかも、などと。
(続く)
たとえば私たちは、
石や水の前で裸になることには何も抵抗はない。
生き物でないからだろうか。
いや、花鉢の前で裸になっても、
恥ずかしいと感じることはおそらく全くない。
野菜や果物の前でもそうだろう。
昆虫の前ではどうだろう。たぶん、ない。
鳥ならどうか。少し感じる人がいるかもしれない。
犬か猫ならどうか。恥ずかしいと思う人が少し増えるだろうか。
だが基本的に、人前で裸になるほどの恥ずかしさは感じない。
ここに私がいる。それを目の前にしても、
電車の中で化粧をすることに、恥ずかしさを感じないのだ。
このとき私は、石や野菜だと見なされている。
すなわち、人格ある存在だとは扱われていないのである。
これが、腹立たしく感じる一つの理由ではないだろうか。
すると、電車の中で大きな声で話すことに対して
激しく不愉快になる私の感情も説明できる。
もちろん、本が読めないという理由もある。
疲れて目を閉じていたいのに、
ぎゃーぎゃー横で言われるからかもしれない。
会社の機密事項のようなものを平気で話せる神経もおかしいが、
他方、お喋りをしないと死に至るような女性の性質に、
こちらもめくじらを立てたくはないという思いもある。
しーんとしているのも気持ち悪いし、
楽しい語らいをとやかく言うのも大人げないかも、などと。
(続く)