私は、日本に宗教教育があってしかるべきだ、と考える。
ただ、それは特定の宗教を真理として教えこむこととはまるで違う。
現在の宗教系大学でも、それはしていないのである。
広く宗教とは何かを考えさせる必要は感じている。
そうでないと、
無菌状態から大学生や社会人となったときに、
突然宗教に触れて、
最初に触れたものに感染してしまうというケースが多々あるからだ。

こういう環境で育てられてきたものだから、
日本人の「宗教」に対する見方は、
世界のレベルで考えるとだいぶズレがある。

正しいとか正しくないとかいうことではない。
世界の標準には決してならない、というだけのことだ。
「日本の考え方が正しくて当然やん」と思ったところで、
それは身の回りの人々にしか通用しない論理となる、ということだ。

こうなると、「宗教」とは何か、ということについて
客観的な判断がしづらくなる。
なにしろ、知識がないのである。
ようやく高校の倫理でちらりと出てくるほかは、
教育機関で「宗教」について学ばない。
しかし、諸外国では、そこは教えられる。
教条のおしつけではない。
互いに相手を理解するためである。

ここでも島国ニッポンは、
相手を理解する必要のない歴史的伝統のせいか、
相手を理解するための宗教教育が薄い弱点を露呈する。

何百年、何千年単位で受け継がれてきた文化としての宗教。
それは国際コミュニケーションが日常的となった現代では、
文化理解としても必需である。

そういうことは、大学という場での研究も必要とされる。
これが、宗教系の大学の意義の一つである。
こういうことを理解する心をもたない、自称「宗教」が、
大学設置を許可されなかったのは、
残念ながら当然ではないだろうか。