西岡選手の守備妨害で勝敗は決した。
幕引きとしては珍しい形になったが、
阪神ファンにとっては納得しづらかったかもしれない。
なにしろ、その判定ひとつで
同点あるいは逆転にもなったからである。

誤審だ、の野次が飛ぶことも理解できる。
ファンのすべてがルールを熟知しているわけではない。
また、ルールで定められていても、
シーズン中なら見逃されていた可能性もあるとなれぱなおさら。

当の西岡選手も、
振られた質問に対しては、当日、
故意ではない、と弁明していた。
そういう言い方をせざるをえなかったかもしれない。
だが、
翌日、あれは故意だった、と自らネットに告白した。

最初に嘘をついたのは弱かったが、
責任感が強い人だと思った。
がっかりしたファンもいたかもしれないが、
私はこれで彼が好きになった。

故意であることは、確実なのだった。
ダブルプレイを避けるために、
なんとかガードしようと思うのは、
良い選手なら当然考えることである。
それ自体を非難する理由はない。

たとえば、ダブルプレイを避けるために、
二塁に走り込む一塁ランナーは、
セカンドで処理し一塁へ転送しようとする野手の動きを
少しでも妨害するコースにすべりこんだり、
時に片足を挙げて接触すら狙う。

捕手は、三塁ランナーの突入に際して、
ホームベースに足を差し入れることが不可能なほどに
立ちはだかり、ブロックする。
ランナーとしても、体当たりして捕手を弾き飛ばさんとする。

これらは、厳しくとればルール違反だとも言える。
しかし、これを考えず、
二塁の野手の邪魔にならないように避けたり、
三塁ランナーに捕手がどうぞと道を空けたり、
本塁突入にタイミングはアウトだからとスピードを緩めたり、
そんなことをするプロの選手は、
やる気がないとしか言いようがないだろう。

プロとして、ベストを尽くそうとしたのだ。
プロなら当然、故意に、
捕手から一塁手への送球を妨害する位置を走る。
西岡選手の、選手としての本能は
必ずやそのようにしたはずだった。
また、それでこそプロであった。

捕手の送球がバッターランナーに当たらず、
球が逸れて、あるいは一塁手が醜いため、
エラーになることを狙った頭脳プレイであった。

だが、西岡選手にとっては不運なことに、
自分に送球が当たってしまった。
これなら、自分の責任でそれが妨害でアウトとなるが、
彼としては賭に負けたのであった。

それは、最初から分かっていた。

問題は、それを隠したということであったが、
結局それを認めた。
プロとして当然のプレイであったのだから、
恥じる必要はないと私は最初から考えていたので、
いろいろ辛いことであろうが、
告白したということについて、私は良かったと思った。

罪を告白するということの難しさと、
それに対する神の赦しが、新約聖書のテーマの一つである。
そういうこととも、重ねて見える情景であった。