さて、ハロウィーンについてだが、
アメリカでの歴史はさほど古くない。
というより、アメリカ自体歴史が浅い国なので、
それは当然のことである。
私が知ったのは、ピーナツブックスで、
ライナスがかぼちゃ大王の幻想を見る場面である。

古いヨーロッパの習俗ではあるが、
日本でたとえれば盂蘭盆会がそれに近い。
教会がそれを率先したとは考えにくいが、
その時を利用して、
聖人や殉教者を思う諸聖人の日をこの日に寄せたという。

これはカトリック時代の西側教会である。
このとき、事件が起きた。
今から497年前のハロウィーン、つまり
万聖節の前の晩のことである。
この人々の集まりを狙い、人々に訴えを掲示した、
ひとりの神学者がいた。
マルティン・ルターである。
ただしその『95ヶ条の論題』はラテン語で書かれていたために、
一般人が容易に読めたものではないらしい。
(実は張り出されたという証拠はないらしい。
大司教に送付したのは確かである)

歴史の記述や真実は、どこまで事実か分からないが、
このあたりのことは、およそそうなのだろう。
『95ヶ条の論題』は空振りだったようだが、
思惑通り広く知られるようにはなった。

その後プロテスタントでは、万聖節を、
いわば召天者記念礼拝のような機会としたらしい。
日本ではそれがまた彼岸の時季などに引き継がれているが、
これもハロウィーンの時季にそれをもってきた歴史と
発想としては同じようなものであろう。
要するに精神的な都合に合わせた日取りである。
とくに何かの根拠があるというものではないようだ。

何かぱーっと騒げるきっかけがあるといい。
そうした思いをすべて否定することはできないと思うが、
そういうときに勢いで、日ごろできない一線を超えることを
平気でやってよい、などということになりかねないのが人間。
いわゆる「調子に乗る」ということだろうか。

お騒ぎに自制が利くのならよいのだが。