いじめについて統計が発表されていた。
非常に増えたとの見出しであったが、
まともにそう評価してはならないのではないか。

たとえば自治体ごとの犯罪件数で
一番多かったところは、
本当に犯罪が一番多いのだろうか。
警察がよく働いているからこそ、
犯罪が検挙され、またカウントされるということもある。
数学的に言うならば、
犯罪数が同じであったとしても、
よく仕事をする警察のある方が、
犯罪数は多いということになる。
極端に言えば、犯罪を隠す警察があったら、
犯罪数は少ないのだ。

それは極論だから、警察の方、
悪い喩えとして用いたことをご寛恕願いたい。

健康診断で異常値の設定が変更されると、
病人は増えたり減ったりする。
こちらの喩えのほうがよかっただろうか。

学校で起こったトラブルが、すべて
表にカウントされるわけではないのだ。
何を以て「いじめ」とするのか、
その判断も様々である。

隠された靴は何足か、とか、
「死ね」という語を何回言われた、とか、
そうした数ならばまだいくらか客観値となるかもしれないが、
それもまた頼りにならないことは明らかであろう。

禁酒法は、水面下での酒の密売を増やすばかりだったという。
「いじめ」の件数とやらが、
どれほどの意味をもつものか、私は評価しない。

まことに努力していじめを減らした学校がある一方で、
名誉だからと減ったことにしていく長もきっと現れる。
これらの数字を、自利のために用いる者も必ずやいる。
勘ぐれば、予算獲得のためにも使えるのだ。
議員でさえそのお手本を見せているくらいだから、
賢い学校長などにその能力がないはずがない。

ましてや、
このいじめ件数を根拠として、
今の子どもはどうだこうだ、などと
お手軽で無責任な論評をする大人は、
信頼に値しない。

子どもたちがどうだということは意見してよいが、
いじめの件数の故に、という関連で
権威づけてはいけない、ということだ。

もちろん、自戒の中で、そう思っているわけだが。