牧師にもまた、当然のことながら、
守秘義務が生じる。
これは、医療機関などでもそうだ。
患者について知り得た情報を、
他に流すことは許されない。

一時、ツイッターがうれしくて、
仕事の中で見聞きしたことを
すぐにネットに流す人が多く現れた。
無邪気であったが、
それがとんでもない悪であることを、
社会が教育し始めた。
その後、いくらかましになっているようでもあるが、
報道されないだけで、
仕事上知り得た個人情報は、
ネットではさかんに飛び交っていることだろう。

牧師はさらに、
この問題については深刻である。
なにせ、魂の問題である。

いろいろ尋ねてみたところ、
やはり私の捉え方は間違ってはいなかったようだ。
いや、ほんとうは私の考え方より厳しかった。

教会ないし牧師という立場は、
個人として救いを求めて来た者を
拒むことができないのだ。
また、それを受け容れたからには、
いかなる国家権力に対しても、
拒むことができるというのだ。

だから、逆に言えば、
助けを求めた者について、
不利になるような情報を、
いかにしても漏らすことはないのだという。

正式な相談をしたわけでもなく、
善き市民としての告発のほうが優先する、
そういう声も、ないわけではない。
だが、やはり私はまずかったと思う。

善き市民としての協力であれば、
警察内部の、いわば裁判に関わる場面がせいぜいである。
しかし、そのときにも、できれば弁護であってほしい。
まして、
民法取材でカメラの前にぺらぺら喋ったというのは、
やってはならないことであったと考える。