土井たか子さんが亡くなった。
時代がまたひとつ過ぎていく。
その死去について、新聞社の対応が、
その新聞社の考え方をよく示しているようにも見える。
西日本新聞は好意的に評価していると思われるが、
昨日のコラム「春秋」に少し驚いた。
土井たか子さんの有名な言葉として、
「山は動いた」が人々の心に残っている。
これが、「実は与謝野晶子の詩が念頭にあったのだ」
と記者は書いている。
私は土井さん自身ではないため、
事の真偽は分からない。
与謝野晶子の言葉であったのかもしれない。
だが、
クリスチャンとして聖書をご存じの土井さんは、
聖書の言葉として、山が動くを頭に置いていたことは
ほぼ間違いがない。
与謝野晶子ではない、とは言わないが、かの事態は、
女性のことを描いたその詩だけで説明できるものではないだろう。
おそらく、与謝野晶子自身も、
聖書から、その詩がインスパイアされていると予想される。
つまり、もともと聖書からきていることに触れなければ、
発言の様子の理解として乏しいのではないだろうか。
いや、たんに私の無知からの想像であるかもしれない。
とくにこの度の訃報に際しては、
聖書に関わるような理解はあまりネットでも見られないようだ。
日本語の慣用句で
仏教関係の語が知らず識らず使われているように、
たとえば英語ひとつとっても、
言い回しの背後には聖書やギリシア文化が
ふんだんに横たわっているものである。
オカルトやゲームキャラに用いられるのもどうかとは思うが、
英語教育がこれだけ強力に叫ばれている中で、
英語の文化には興味がないというのは、
明治期の政府のようで、寂しくもあり、
もしかしたら危なくもあり、というところだろうか。
時代がまたひとつ過ぎていく。
その死去について、新聞社の対応が、
その新聞社の考え方をよく示しているようにも見える。
西日本新聞は好意的に評価していると思われるが、
昨日のコラム「春秋」に少し驚いた。
土井たか子さんの有名な言葉として、
「山は動いた」が人々の心に残っている。
これが、「実は与謝野晶子の詩が念頭にあったのだ」
と記者は書いている。
私は土井さん自身ではないため、
事の真偽は分からない。
与謝野晶子の言葉であったのかもしれない。
だが、
クリスチャンとして聖書をご存じの土井さんは、
聖書の言葉として、山が動くを頭に置いていたことは
ほぼ間違いがない。
与謝野晶子ではない、とは言わないが、かの事態は、
女性のことを描いたその詩だけで説明できるものではないだろう。
おそらく、与謝野晶子自身も、
聖書から、その詩がインスパイアされていると予想される。
つまり、もともと聖書からきていることに触れなければ、
発言の様子の理解として乏しいのではないだろうか。
いや、たんに私の無知からの想像であるかもしれない。
とくにこの度の訃報に際しては、
聖書に関わるような理解はあまりネットでも見られないようだ。
日本語の慣用句で
仏教関係の語が知らず識らず使われているように、
たとえば英語ひとつとっても、
言い回しの背後には聖書やギリシア文化が
ふんだんに横たわっているものである。
オカルトやゲームキャラに用いられるのもどうかとは思うが、
英語教育がこれだけ強力に叫ばれている中で、
英語の文化には興味がないというのは、
明治期の政府のようで、寂しくもあり、
もしかしたら危なくもあり、というところだろうか。