黙示録によれば、
「彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる。
それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、
彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する」(黙示録11:2-3)
と、終末のあるとき、
奇妙な数字の期間が指定されている。

黙示録は様々な象徴から成っている。
この日数も、その文字通りにとってよいかどうか分からない。
だが、これらの別々のように見える数字は、
よく考えてみると、どちらも三年半である。
42か月も1260日も、同じなのである。

これら二つを合わせると7年。
この7という数字は、聖書では大きな意味をもつ。
その半分の期間、という意味でもあるのだろう。

都を踏みにじる彼らとは異邦人のことである。
三年半の間、彼らは聖地を踏みにじった。
そのため神は二人の証人を立てる。
二人は神の言葉を三年半の間、告げ続けるという。

残念ながら、この後二人は殺される。
まるでイエスのように、殉教するのだ。
証人という言葉自体、殉教者を意味している。
証人とは、命を懸けて何かを訴える人のことだ。

ただ、三日半の後に彼らはよみがえる。
神は証人のいのちを捨て置かない。

私たちは、東日本大震災から三年半を経ることになった。
私たちは、福島の人々を踏みにじった。
彼らは荒布を着て、訴えている。
その彼らをうるさいと思い見殺しにするなら、
私たちは、あの大患難時代の中で、
何を演ずることになるであろうか。

ネットでも、あまりこのことは指摘されていない。
三年半である。
政治が悪いとか、経済が悪いとか、
人のせいばかりにしていると、
それこそ罪ではないか、とキリストは見つめるであろう。

三年半である。