学習のためには、何をすればよいか。
これは算数も数学も共通なのだが、
一定の「技術」を身につけることである。
具体的に言えば、計算方法を習得する、ということになる。
解決への道が現れたときにも、
計算処理の方法を知らなければ、解決には至らない。
道順が分かっても、歩けなければ到達できないのと同様である。
そこで、算数でも、その「技術」の習得のための教室がある。
計算がやたら速くなる。
それはそれでよいことだ。
しかし、問題解決の「技術」は身につくが、
解決の方法が理解できるわけではない。
次に必要なのは、「知識」である。
具体的に言えば、公式を知るとか、関係の「しくみ」を知ることである。
濃度の関係、利益の関係、図形の公式、こうしたものに
データを当てはめれば、自然と、関係式が生まれることになっている。
必ずしもその経緯や根拠を納得しておく必要はない。
知っていればそれに越したことはないが、
とにかく使えるための知識がまず必要である。
根拠を知っていれば、さらに深い理解や、
新しい状況に対応することが可能になる、ということであって、
さしあたりは「知識」があればなんとかなる。
その代わり、「知識」を身につけておかなければならない。
案ずることはない。
社会科と比較すれば、
明らかに覚えるべきこと、知っておくべき知識は少ない。
但し、原理的な理解が必要となるので、
意味も分からず棒暗記というのでは通用しない場合がある。
根拠の説明はできなくてもよいが、
適用するために必要な原理的理解は欠かせないのである。
ここまでの話を一度まとめておこう。
私たちはどうしても「技術」を身につけておく必要がある。
しかし、適用するためには「知識」も必要となる。
サッカーで言えば、
まずはボール操作、ドリブルやパスの技術の習得が必要だ。
まずはこれに当面長い時間を要するし、
一流選手になっても基本的にこの練習からスタートする。
しかし、ボール操作のうまい選手が良い選手とは限らない。
ルールを知らない人は試合に参加できない。
また、作戦やセオリーというものがあり、
良い選手というのは、相手の動きを読み、次の行動を決める。
そのためにはどうしても知識が必要だと言える。
運動神経とボール操作だけでサッカーはできないということである。
(続く)
これは算数も数学も共通なのだが、
一定の「技術」を身につけることである。
具体的に言えば、計算方法を習得する、ということになる。
解決への道が現れたときにも、
計算処理の方法を知らなければ、解決には至らない。
道順が分かっても、歩けなければ到達できないのと同様である。
そこで、算数でも、その「技術」の習得のための教室がある。
計算がやたら速くなる。
それはそれでよいことだ。
しかし、問題解決の「技術」は身につくが、
解決の方法が理解できるわけではない。
次に必要なのは、「知識」である。
具体的に言えば、公式を知るとか、関係の「しくみ」を知ることである。
濃度の関係、利益の関係、図形の公式、こうしたものに
データを当てはめれば、自然と、関係式が生まれることになっている。
必ずしもその経緯や根拠を納得しておく必要はない。
知っていればそれに越したことはないが、
とにかく使えるための知識がまず必要である。
根拠を知っていれば、さらに深い理解や、
新しい状況に対応することが可能になる、ということであって、
さしあたりは「知識」があればなんとかなる。
その代わり、「知識」を身につけておかなければならない。
案ずることはない。
社会科と比較すれば、
明らかに覚えるべきこと、知っておくべき知識は少ない。
但し、原理的な理解が必要となるので、
意味も分からず棒暗記というのでは通用しない場合がある。
根拠の説明はできなくてもよいが、
適用するために必要な原理的理解は欠かせないのである。
ここまでの話を一度まとめておこう。
私たちはどうしても「技術」を身につけておく必要がある。
しかし、適用するためには「知識」も必要となる。
サッカーで言えば、
まずはボール操作、ドリブルやパスの技術の習得が必要だ。
まずはこれに当面長い時間を要するし、
一流選手になっても基本的にこの練習からスタートする。
しかし、ボール操作のうまい選手が良い選手とは限らない。
ルールを知らない人は試合に参加できない。
また、作戦やセオリーというものがあり、
良い選手というのは、相手の動きを読み、次の行動を決める。
そのためにはどうしても知識が必要だと言える。
運動神経とボール操作だけでサッカーはできないということである。
(続く)