敗戦から69年。
その8月14日、
すでに沖縄では組織的には戦闘機能をなくしていたが、
まだ惨劇は続いていた。
広島と長崎においては、
訳の分からない事態が起こり、
街が壊滅していた。
生き残った人は死線をさまよい、
救援活動は絶望をつかみ取るような中で
できることだけが行われていたと思われる。
すでに、
政府中枢では、
戦争を終わらせることが決定していた。
国のために命を捨てよと教えられた国民ばかりが、
健気になおも敵と戦う思いを抱き、
天皇や国家のために命を捨てる覚悟を決めていた。
だが、
政府では、もう、終わっていた。
この「時」とは何かを考えたい。
たとえば、
飛行機事故のニュースを聞く。
家族が乗っていることが分かっている。
ああ、どうか助かりますように。
家族は願う。明確な情報が届くまで、それは続く。
だが、
そう願う時も、願い続けている間も、
実のところ結末はもう出ている。
事実としては、結果が決まっているのだが、
情報を知らないほうは、
未来は変えられるとの思いで願う。
69年前の8月14日、いや、
さらにいえばその何日も前から、
へたをすると何ヶ月も前から、
為政者たちの間では、
戦争は終わったという事実の中にいた。
どのタイミングで、どのようにして終わらせるか、
さらにいえば、
降伏後に天皇制がどうなるのかの折衝のために、
時が過ぎていくようなものであった。
その「時」が徒に過ぎる間にも、
多くの命が消えていった。
原爆被害者も、そこに数えてよいかもしれない。
「時」が共有できたのが、
8月15日であった、ということになっている。
音の悪いラジオ放送であり、
ラジオが聴けなかった環境の人々も多々あることを思うと、
さらにタイムラグはあると見たほうがよいかもしれない。
(続く)
その8月14日、
すでに沖縄では組織的には戦闘機能をなくしていたが、
まだ惨劇は続いていた。
広島と長崎においては、
訳の分からない事態が起こり、
街が壊滅していた。
生き残った人は死線をさまよい、
救援活動は絶望をつかみ取るような中で
できることだけが行われていたと思われる。
すでに、
政府中枢では、
戦争を終わらせることが決定していた。
国のために命を捨てよと教えられた国民ばかりが、
健気になおも敵と戦う思いを抱き、
天皇や国家のために命を捨てる覚悟を決めていた。
だが、
政府では、もう、終わっていた。
この「時」とは何かを考えたい。
たとえば、
飛行機事故のニュースを聞く。
家族が乗っていることが分かっている。
ああ、どうか助かりますように。
家族は願う。明確な情報が届くまで、それは続く。
だが、
そう願う時も、願い続けている間も、
実のところ結末はもう出ている。
事実としては、結果が決まっているのだが、
情報を知らないほうは、
未来は変えられるとの思いで願う。
69年前の8月14日、いや、
さらにいえばその何日も前から、
へたをすると何ヶ月も前から、
為政者たちの間では、
戦争は終わったという事実の中にいた。
どのタイミングで、どのようにして終わらせるか、
さらにいえば、
降伏後に天皇制がどうなるのかの折衝のために、
時が過ぎていくようなものであった。
その「時」が徒に過ぎる間にも、
多くの命が消えていった。
原爆被害者も、そこに数えてよいかもしれない。
「時」が共有できたのが、
8月15日であった、ということになっている。
音の悪いラジオ放送であり、
ラジオが聴けなかった環境の人々も多々あることを思うと、
さらにタイムラグはあると見たほうがよいかもしれない。
(続く)