11日の「あさイチ」最初のコーナー「民芸」で
アナウンサーが、ほとんど全部「みんげい」について、
「み」を強く、「んげい」を弱く発音していた。
本来「み」が弱く「んげい」と上がるのが標準アクセントである
と理解していた者にとって、ひじょうに違和感があった。
少なくともNHK日本語発音アクセント辞典と
新明解国語辞典ではそうなっている。
もっと不思議なのは、
出演者の誰も違和感をもっていないらしいこと。
「くまモン」も、
いつの間にか東京人が勝手に「く」を強く「まモン」と
間違って広めてしまった。
その流行初期に東京人が、
地元の人が「く」を弱く「まモン」を強く言うビデオを聞いて、
「おかしい、言いにくい」などと言っているのを見た。
その後、「く」が強くなっていった。
「みんげい」も「くまモン」も、
頭が弱く(低く)、二つ目の音から強く(高く)なるのが元々である。
東京山の手を基準としてかつて考えられたという
標準語(後の共通語)が唯一正しい、というつもりはないが、
ここのところ、東京の感覚が一変しているのかもしれない。
NHKが言うのだから正しいだろうと思わせる影響力をもっている。
自分は間違っていたのか、という声がネットにもたくさんあった。
放送というものは怖いと思う。
地元の言い方をさえ変えてしまう力をもっているのだ。
ひとりの暴走で、
このまま「み」を高く言うのが正しい、と
全国に広まる可能性さえ否定できない。
特にこのように繰り返し確信を持って使われると、
疑問をもたざるをえない。
ネットの声で、
「おかしいよね」と言い合う声に、
何人かが安堵している様子が窺えた。
その意味で、すぐつながる道があるのはよいものがある。
だが、それはごく少数だ。
NHKの牙城も崩れたか、の声もあった。
言霊の力を口にする民族は、
どこへ流れていこうとするのか。
(追記)
――番組の最終にこのような指摘が相次ぎ、
アナウンサーは、
取材した地元で「み」を高く言っていたので
「ツウ」な言い方を通した、と弁明していた。
これなら、地元志向で私も賛成だ。
だが、それならば、先にそのことに
一言でもいいから触れておけばよかった。
後から説明するくらいならば、
先に言うべきである。
番組の最後まですべての人が見るとは限らない。
こういうのを「奇を衒う」と言う。
自分の中だけで正当を貫き、ひとを見下す考えだ。
その証拠に、番組内で、
混乱させてすまなかった、という意識は
少しも表さなかった。
言葉の問題よりも、
こちらのほうが大きな問題のようである。
アナウンサーが、ほとんど全部「みんげい」について、
「み」を強く、「んげい」を弱く発音していた。
本来「み」が弱く「んげい」と上がるのが標準アクセントである
と理解していた者にとって、ひじょうに違和感があった。
少なくともNHK日本語発音アクセント辞典と
新明解国語辞典ではそうなっている。
もっと不思議なのは、
出演者の誰も違和感をもっていないらしいこと。
「くまモン」も、
いつの間にか東京人が勝手に「く」を強く「まモン」と
間違って広めてしまった。
その流行初期に東京人が、
地元の人が「く」を弱く「まモン」を強く言うビデオを聞いて、
「おかしい、言いにくい」などと言っているのを見た。
その後、「く」が強くなっていった。
「みんげい」も「くまモン」も、
頭が弱く(低く)、二つ目の音から強く(高く)なるのが元々である。
東京山の手を基準としてかつて考えられたという
標準語(後の共通語)が唯一正しい、というつもりはないが、
ここのところ、東京の感覚が一変しているのかもしれない。
NHKが言うのだから正しいだろうと思わせる影響力をもっている。
自分は間違っていたのか、という声がネットにもたくさんあった。
放送というものは怖いと思う。
地元の言い方をさえ変えてしまう力をもっているのだ。
ひとりの暴走で、
このまま「み」を高く言うのが正しい、と
全国に広まる可能性さえ否定できない。
特にこのように繰り返し確信を持って使われると、
疑問をもたざるをえない。
ネットの声で、
「おかしいよね」と言い合う声に、
何人かが安堵している様子が窺えた。
その意味で、すぐつながる道があるのはよいものがある。
だが、それはごく少数だ。
NHKの牙城も崩れたか、の声もあった。
言霊の力を口にする民族は、
どこへ流れていこうとするのか。
(追記)
――番組の最終にこのような指摘が相次ぎ、
アナウンサーは、
取材した地元で「み」を高く言っていたので
「ツウ」な言い方を通した、と弁明していた。
これなら、地元志向で私も賛成だ。
だが、それならば、先にそのことに
一言でもいいから触れておけばよかった。
後から説明するくらいならば、
先に言うべきである。
番組の最後まですべての人が見るとは限らない。
こういうのを「奇を衒う」と言う。
自分の中だけで正当を貫き、ひとを見下す考えだ。
その証拠に、番組内で、
混乱させてすまなかった、という意識は
少しも表さなかった。
言葉の問題よりも、
こちらのほうが大きな問題のようである。