メディアは、東京中心である。
出版やマスコミは東京の力が大きい。
「くまモン」がいまや、九州地方でも、
「く」にアクセントを置く子どもが増えている。
大人のアナウンサーまでもそう言うようになった。
これがくまモン登場初期には、九州では誰もが
「く」を低く弱く発音していた。
しかし東京方面のアクセント感覚はちがったため、
全国に知られるようになったとき、「く」が強く言われた。
それを聞いているうちに、そちらが正しいと思い込まれたのだ。
誤りが幅を利かすようになる実例を見せつけられる。

科学的真理はそう簡単に誤りが信じられるようにはなるまいが、
マスコミの持ち上げ方やこき下ろし方により、
科学知識さえも怪しくなることがある。
「生活の知恵」や「健康情報」レベルだと
まさにそうなっている。
「子育ての知識」もそういうことだろう。

「ことば」は、ただの記号ではない。
そこに命がある、という捉え方も聖書にある。
これは訳語の問題でもあり、「ことば」と表した語は
思想的背景も広く深くあり、簡単に処理はできない。
日本ではそれとは別の意味で「言霊」という考え方があり、
忌み言葉や縁起担ぎというものがある。
いずれにしても、「ことば」に力があると見られている。

「ことば」が「名」になると、また別の方面に走る。
名を知ることは相手と向き合うことになり、
時に相手を支配することになる。
鬼六の昔話もそれを表しているが、
西洋のファンタジーにもこの「名」についての考え方が
あちこちでベースになっている。
とにかく「ことば」はただの音や記号ではない。

神秘的な意味を載せる必要はさしあたりないが、
言葉について自己中心を主張することは、
自分を神とする精神とつながる。
コミュニケーションの道具でもあるわけだから、
多数派を無視することはできないが、
多数であるから正義だ、という衝動と、
原義や伝統というものを尊重する落ち着きと、
バランスがとれていく使い方ができたら、と思う。