~にもかかわらず、
という前提でのみ、曲は味わうものだろうか。
すばらしい曲だ、とこれまで褒めていた評者も、
評価を取り下げるのだろうか。
だったら、聾であることを
なんだか一段下に見ているようにも感じられる。
あるいは、
聾であるからこそ商品価値があるのであって、
そうでなければプレミアムがないのだ、と
曲そのものでないところで価値が決まるというのだろうか。
だとしたら私たちは、
音楽を何で判断しているのだろう。
料理だってそうだ。
どこどこ産だから価値があり金を出す。
それが違う産地ならば出さない、詐欺だ、
そういう騒ぎが最近もあった。
自分で美味しいかどうか判断できない味を、
裸の王様のように、見えない飾りで喜んでいるとすれば、
何か歪んでいるような気が、しないだろうか。
私はむしろ、
出荷中止になったということにより、
その曲を聴いてみたくなった一人である。
問題があるなら、本当の作曲者の名前を出して
販売してもよいというふうにはできないものか。
いや、
もはやビジネスにはならない、ということなのか。
美しい曲ならば、それが
曲自体の理由でなしに、消えていくのは忍びない。
という前提でのみ、曲は味わうものだろうか。
すばらしい曲だ、とこれまで褒めていた評者も、
評価を取り下げるのだろうか。
だったら、聾であることを
なんだか一段下に見ているようにも感じられる。
あるいは、
聾であるからこそ商品価値があるのであって、
そうでなければプレミアムがないのだ、と
曲そのものでないところで価値が決まるというのだろうか。
だとしたら私たちは、
音楽を何で判断しているのだろう。
料理だってそうだ。
どこどこ産だから価値があり金を出す。
それが違う産地ならば出さない、詐欺だ、
そういう騒ぎが最近もあった。
自分で美味しいかどうか判断できない味を、
裸の王様のように、見えない飾りで喜んでいるとすれば、
何か歪んでいるような気が、しないだろうか。
私はむしろ、
出荷中止になったということにより、
その曲を聴いてみたくなった一人である。
問題があるなら、本当の作曲者の名前を出して
販売してもよいというふうにはできないものか。
いや、
もはやビジネスにはならない、ということなのか。
美しい曲ならば、それが
曲自体の理由でなしに、消えていくのは忍びない。