アイディアというものは、
上から突然降ってくるように
感じることがある。
 
だが、それは多分に
自分でそう感じるだけのことであるようだ。
子どもが、
自分で問題が解けるようになったとき、
突然のように感じるとしても、
教える側からすれば、
必然的に分かるようになった、と
理解するのと似ている。
 
自分の側で、
十分に思考があちこちを散策しておき、
そのうちあるところが
別のあるところとつながったとき、
アイディアとなるようなことがある。
 
ちょうど、
「なぞかけ」のようなものである。
どのような関係があるか、結びつきのない二つのものが、
ある事柄を架け橋として
スッとつながってしまう。
 
そのようなことが起こるためには、
自分のたどった思考の跡を
何らかの形でその場に遺し、
新たな事柄がそれとつながるかどうか
確認できるような環境を作るとよい。
 
だから、
昔からのKJ法でもあるように、
アイディアはとにかく目の前に出せるだけ出して
いつでも見えるようにしておくとよいのだ。
 
数学の問題を解くのに、
じっと睨みながら考え込んている子がいる。
 
よほどの才能がないかぎり、
これでは解きづらい。
なんでも書け。書き表せ。
とにかく「かく」のだ。
 
そのように教えているのだが、
どうしてかくのを面倒臭がるのだろう。
 
何も書かずに「いま考えているんだ」と言うことがあるが、
たいていは、言い訳に過ぎない。
考えられていない。
 
今年、聖書を読むときにも、
メモを可能な限りとることにした。