NHKラジオの高校講座で、
高校生の会話が演出されていた。
 
日本のクリスマスは
本来の精神と違うからおかしいと思う。
 
いや、日本人風に理解して
楽しんでいる年中行事だからいいよ。
 
二つの考えを比較検討して、
どちらが善いとか悪いとかでなく、
こうした二つの考えがあることを指摘していた。
 
何でも習俗にしてしまう。
ただし、それは
解釈者の都合のよいように、である。
 
キリスト教の場合は、
その宗教性を受け容れたくないが故に、
習俗だと告げる。
 
神道の場合には、
その宗教性を既成の事実として
染め上げるために、
習俗だからと拒否させないようにする。
 
一方ではその信仰を骨抜きにするために。
他方では氏子として登録することを
当然のこととするために。
 
靖国に祀ることを誰彼も是とする法律判断は、
この後者の轍に入るのだろうか。
 
前者については、
これだけ偽装を非難した社会が、
クリスマスは偽物でよいのだ、とする精神の背後に、
どういうものがあるのか、
考えさせることになるような気がする。
 
今日はクリスマス主日礼拝。
礼拝に出る者もまた、
本物を知って(体験して)いるのかどうか、
問われるかもしれない。
真摯に、この出来事と向かい合う必要がある。
 
キリストは、
自分の心の中に、
たしかに生まれたのかどうか、と。