クリスマスという名前で
子どもの頃の私は当然、
サンタクロースの日だと考えていた。
 
クリスマスのつどいを
京都の進学教室で開いたとき、
私が黒板に家畜小屋の風景の絵を描いたら、
その発想はやはりクリスチャンだからか、と
スタッフに言われたことがある。
 
クリスマスのスピリットから発生した、
人への労り・思いやり、
そして子どもたちの笑顔、
そんな営みが、
目に見える現象として定着してしまった。
もちろん、それはそれで悪くない。
 
スクルージの物語が伝わるのも、
あたたかな気持ちがする。
 
だが、すべてはキリストの故である。
ウィキペディアの調査によると、
人類史上最大の重要人物は
イエス・キリストである、という発表があった。
 
クリスマスの出来事は、
その史上最大の、いわばスタートだったのである。
 
ところで
サンタクロースはいるのか、いないのか。
醒めた顔をした子どもが増えたが、
それはネッシーがいるかいないか、といった次元とは
訳が違う。
 
「愛」ってあるの? ないの?
 
この問いにはどう答えよう。
「ない」と言い切れる人は、
サンタクロースもいない、と言ってよいと思う。
だが現実には、
世界中でサンタクロースがはたらいている。
 
願わくは、
辛い立場の子どもたちに、
今日の食べ物や傷の癒しや、
明日への希望がプレゼントされてほしい。